◆私は、昨年4月にバプテスマを受けたばかりの新米クリスチャンです。神様がいらっしゃる!ということを初めて知ったときの喜びは、いまだ鮮明に覚えています。
◆妻と結婚をしてから、家族寮で生活するようになりました。8歳年上で生まれ育った場所も違う妻とは、考え方や生活習慣の上で違いを感じることが少なくありません。
◆多くの人は、この地上に末永く残る遺産を作ろうと一生懸命になっています。自分がこの世を去った後も、みんなに思い出してもらいたいというわけです。しかし、最も肝心なことは、人々があなたの人生をどう評価するかではなく、神が何と言われるかなのです。どんなに立派な貢献をしてもいつか忘れ去られ、記録は塗り替えられ、名声は消え去り、業績も人々の記憶から消えていくということを、多くの人々は理解していません。この地上に財産を残すために生きるのは、近視眼的な生き方です。もっと賢い時間の使い方は、永遠に残る遺産を築くために生きることです。
◆次週(1/24)で、めぐみ館での礼拝は最後になります。その間礼拝場所は点々としてきました。(ある時は、会場が与えられず野外礼拝の時もありましたし、賛美を歌えない礼拝の時もありました)が、一度も「どうしよう礼拝場所が確保できなくて」という思いをしたことはありませんでした。
◆今月23日に会堂が(株)ペテロ建設よりJOYチャペルに引き渡されます。一年前にこの土地購入を決議し、会堂建築に踏み出し、今月31日から新会堂で礼拝をささげることができるこの恵みに与れるのは、私たちが素朴に聖霊の働きと、ご自分の教会を建てると言われたイエス・キリストに信頼を置いた信仰によるのだと思います。
◆いよいよ新会堂で礼拝をささげられる。この10年の歩みを振り返り教えられたこと、心掛けてきたことと同時に、これからの歩みを展望したい。
◆散歩道となっている会堂建築工事現場に立ち寄っているうちに、次の二つの御言葉が浮かんで来た。
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」(ヘブル12:2)。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(ピリピ1:6)。
◆聖書における奇跡は、すべて歴史に対する神の介入である。超自然的な出来事で人々をアッと驚かせるということよりも、その出来事を通して常に、神が共におられるということを語られる。
◆あなたは偶然に存在しているのではありません。あなたが生まれてきたのは、何かの間違いでも、不運にして不幸な出来事でも、自然のいたずらによるのでもありません。たとえあなたの両親が、「あなたが生まれたのは予定外だった」と思っていたとしても、神にとってはそうではありませんでした。神は、人間の過ちや失敗さえ用いられるお方です。神はあなたの誕生を驚くどころか、心待ちにしておられたのです。あなたが生きているのは、神があなたを造ろうと願われたからなのです。聖書は言っています。「主(神)は、私に対する自分の目的を果たされる」(詩篇138・8)。
◆私たちは、この時代の最大の敵である騒音と忙しさ、そして人の群れの中で生活しています。 イエスさまを信じている私たちも同じように「忙しさ」の中にいます。しかし、ふと振り返ってみると、むなしく、何ともいえない不安な自分自身を見出します。





