◆ルカは、イエスの公生涯がガリラヤの諸会堂で教えることから始まったと述べている(ルカ4:14-15)。会堂は、イエスの時代の重要な教育機関であった。会堂での教育は、律法と預言書の朗読に根ざしていた。
続いて、講話、教えの時間があった。福音書は、イエスの公生涯のすべての働きを統合する要素として教育を捕えている。イエスの教えは、会衆の前に立つ説教家ではなく、弟子たちと親しく対話する教師である。イエスの説教は、その内容が"神の国の福音"であった。これは、イエスがその教えの中で繰り返し、触れておられる主題である
(マタイ5:19-20ほか)。
◆「大人になってからの性格は、子どものときの経験に大きく影響を受けると言われていますが、日本では『つ離れするまで』と言います。7つ、8つ、9つです。ところが、その『つ』までに励ますっていうのがないのです。『ダメ』、『早く』、『何やってんの』とか、8割がた否定する。
『いい子だね~』とか、『よくできたね~』とかそういうのが全然ないから、もう育たないらしいですね。励ましが次のエネルギーになるんじゃないか。」と子育てについて本に書かれてありました。
◆大変な不安と恐れの時代になりました。世の終末期を思わされます。ダ
ニエルの時代と形は異なるものの、この世の主権者がますますその力を強
固にし、民を深い不安へと駆り立て、「民は民に、国は国に敵対して立ち
上がるであろう。......そのとき、多くの人がつまずき、また互いに裏切
り、憎み合うであろう。......また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷
えるであろう。」(マタイ24:7~10、12)というイエスさまのおことば
が、現実性をもって私たちに迫ってきています。
◆今日は神山伝道師のメッセージでした。
◆午後は、先日バプテスマを受けた3人の兄弟姉妹の歓迎愛餐会がありました。愛餐会
は、カレーパーティーでした。各家庭のカレー品評会のような様相でした。ここぞとばかりに食べまくる人、普段家庭会で食べられる以外の家の味を探す人、一皿で複数家庭の味を楽しむ人、私は・・・と言うと、食べまくる人でした!
◆聖書の宗教、キリスト教はどのような宗教かと問われれば、それは《愛の宗教》だと
いうことができましょう。新約聖書の中でヨハネの手紙という小さな手紙があります。
その中で著者は、次のように語っています。「わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしに
なりました。ここに愛があります」(Ⅰヨハ4:10)。神はもっとも愛する独り子を、私た
ち人間の世界にお遣わしになって、その借金を全部肩代わりしてくださった、そこに
愛があると言っているのです。神からの一方的な愛の宗教、恵みの宗教なのです。
◆神が嫌われ憎まれるものの中心的な第一は、高ぶる心だ。それに匹敵するものは、偽
りを言う舌(うそを言う)だと箴言は語っています。「主の憎まれるもの忌み嫌われる
ものが7つある。そなわち、高ぶる目、偽りを言う舌...」(箴言6:16~17)。
◆私たちはどうしたら幸せになれるのでしょうか。現代人は、孤独で不安で生きがいの
ない生活を続けています。それは、知らず知らずのうちに造り主である神のおきらい
になる生活に入ってしまったからです。そんな生き方から脱出できるなら、すがすが
しい祝福された生活が始まります。
◆人となられた神の御子イエス・キリストは十字架上で、死の意味を逆転させ、信じる
者に希望の扉を開け放たれました。
「わたしは、復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きて
いて、わたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」 (ヨハネ11:25~26)と。こ
のみ言葉に照らすと、自らの死を寂しく一人で迎える今日のあり方に対し、誰にも訪
れる死―罰ではなく、無に帰する理不尽な人生の結末でもない―は、主なる神と差し向
かいになる、はつらつとした、確かな希望の時として、その姿を現します。
◆日本では世界でも類を見ないほどのスピ-ドで高齢社会に突しました。2020年には4人
に1人が65歳以上の高齢者になると言われています。現在、教会では65歳以上の人
が40%になります。このような時代を迎えている私たちは、人間の価値を単に働く能力
の程度によって判断し高齢者を排除してきた社会から、社会の一員として互いに尊重
し合い、安心して生活できるよう協働して築いていく社会へと移行する務めを託され
ています。この課題は、「老いをどう生きるか」という基本的命題に取り組むことか
らはじまると考えます。





