捧げる礼拝
◆JOYチャペルがはじまってから9年。その間の私の歩みもJOYとともにありました。感
謝です。2000年に結婚、それから妊娠、出産、そして夫の救い…。

◆JOYチャペルがはじまってから9年。その間の私の歩みもJOYとともにありました。感
謝です。2000年に結婚、それから妊娠、出産、そして夫の救い…。
◆最近、自分の居場所のない人が増えているように思います。会社で、学校で、家庭
でも、そして教会でさえも!私達の家族は9年前、安心して礼拝できる自分達の居場所
を求めて彷徨っていました。約1ヶ月という期限付きで、ある家庭の居間に3家族が集ま
って小さな家庭礼拝が始まりました。ところが神様は、その期限を無期限に変えてくださ
ったのです。私達の計算や常識を越えた様々な不思議が重なって“神様のシナリオ”は
展開していきました。
◆日本有数の温泉観光地で知られる別府は、その総 住民の中にしめる外国人の比率が
「全国二位」だそうだ。そこに別府伝道所がある。五年前に就任した吉田真司牧師は、
外国人との礼拝の共有のために取り組んでこられ、11月3日に教会組織し、「別府国際
バプテスト教会」が誕生する。
◆私たちは、先の礼拝と来たるべき礼拝の間に、それぞれ一週間の平日の生活を送りま
す。そこに「間」の生活(日常生活)があります。具体的には、月曜日から土曜日まで
の過程の生活ですし、また職場や学校や社会の生活です。その大部分は、仕事と家庭、
社会と職場の人間関係の生活ということでしょう。これらの生活には意味と限界との
両面があります。それらの生活には意味があります。しかしそれらの生活のどれも絶
対化してはならないのです。それらの生活のどれにも限界があるからです。それらは、
中断されるのです。礼拝する者は、この中断を知っています。どこまでも職場、家庭、
学校、社会にいれば礼拝にはこれなくなるわけです。ですから、仕事や家庭の生活を
ある面断ち切って、私たちは礼拝に来るのです。その意味で、礼拝生活は、日常生活
を「限界づけている」と言ってもよいと思います。
◆JOYチャペルは、「礼拝の喜び」の教会です。9年前、礼拝を捧げることができた時の
感激が今日も続いています。この9年間で「神の家族」として集められたメンバーはみ
んな、失われかけていた礼拝の場所がこのJOYチャペルで与えられて、そこに喜びを共
有しているのです。
◆両親の住む米国(南加州、オレンジ郡、ミッションビエホ市)に帰省したいと願った理
由がいくつかあります。母が3月に膝の手術をしたのでその後の様子を見てみたいとい
うこと。子ども達を米国の小学校でキャンプに行かせること。三世代の交わりをもつ
こと。学生時代の友と会って話しをすること。米国の教会で礼拝すること。神様は、
私が計画していたこれら以上の溢れ出る程の祝福を用意していて下さいました。
◆旧約聖書の中にイスラエルの第二神殿の建設を記している箇所があります(エズ
ラ3:10~13)。神殿の定礎式の様子が描かれています。イスラエルの民は、バビロン捕
囚から「廃墟」と化している故郷に戻って来て、ゼロの状態からもう一度出発しよう
としたのです。廃墟は戻って来た故郷にあっただけではありません。彼らの内面にも
また「赤茶けた廃墟」が広がっていました。その時、彼らは何よりもさきに神殿を築
こうとしたのです。
◆JOYチャペルの礼拝が「霊とまことによって」捧げられてきていますから、その礼拝を神は喜んで受け入れてくださっているのです。これからも温かさと喜びで満たされた礼拝を捧げていきたいと願っています。そのためには、最低限の秩序を守る必要があります。