苦い人生(マラ)の試みを通して

管理人

◆イスラエルの民は、神様の助けにより紅海を渡りました。彼らは喜びの賛美を主に
ささげます。しかし、民は、この後、勝利に酔ってしまいました。するとすぐに事件
が起こりました。

◆民の飲み水が3日間歩いても、見つからなかったのです。へとへとになった末に発
見した水も苦くてとてお飲めるようなものではありません。そのため彼らは、その地
を「マラ(苦い)」と呼びました。神様はなぜマラを通らせたのでしょうか。苦いマ
ラを通して、彼らに重要な真理を確認させるためでした。私たちの人生に時々苦い試
み(マラ)がやって来る理由は何でしょうか。

 ①神様がどのようなお方であるのかを悟ります。「主がともにいてくださり、いや
す方」(出エジプト15:26)であることを知るようになります。

 ②勝利以後も試みはあるので、謙遜であれと教えておられます。(I.コリン
ト10:12)。私たちが高慢になって倒れないように、私たちにどげを与えられること
 があります。これは懲らしめではなく、祝福なのです。

 ③マラで苦い水の試みの後に、エリム(12の泉)の安息が待っています。(出エジ
プト15:27)。苦い体験、試みは永遠に続くものではなく、聖徒が担うことのできる
分の試みなのです。真っ暗なトンネルの中にいるような苦難でも、前進して行くなら、
間もなくトンネルを抜け出すことができます。今、トンネルの中にいるなら、祈って
進んでいきませんか。やげて明るい光を見ることができます。

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