教会って賑やかな所!(信徒の友2010年5月号より)

Shin1

◆強い因習や貧困の強い長野県下伊郡喬木(たかぎ)村にある喬木教会に赴任された伊那聡牧師は平日に何をすればよいか、どのように伝道したら良いかが、さっぱりわかりませんでした。日曜日には人の出入りがあるのに、平日は全く人の訪れない会堂がやたらと寂しく思えました。そして思わず祈りました。「主よ、礼拝の時には会堂に人が満ち溢れ、平日も絶えず人の出入りがあり、子どもの声が響き渡る賑やかな教会にしてください。」と。

◆そして、「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(ヨハネ15:5)とのみ言葉をいただき、主に繋がってさえいれば、豊かな実を結ぶことができるのだ。と確信しました。

◆では実際に主に繋がるとは、どのようなことをいうのでしょうか?思い悩んだ時に「デボーション」と出会ったのです。そして、これを具体的に信徒に教え、朝ごとに主のみ言葉を聞き、み言葉を適用して生活することを奨励しました。

◆このデボーションに取り込むようになってから、教会の雰囲気が変わってきました。教会が明るくなり、互いに受け入れ、喜ぶようになってきたのです。デボーションを通して、愛を実践することを心がけるようになりました。新来者が来るようになり、歓迎ムードが生まれるようになりました。子どもたちがタムロするようになり、「賑やかな教会」を望んだ牧師に、神が応えてくださり、今では晩餐式のカップが足りなくなる事件(?)がおこりました。「村の小さな教会ですが、主に繋がっているならば、必ず豊かな実を結ばせていただける。との確信が今この教会にあります。」と伊奈牧師は語っておられます。

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