恐れることを知れ

Shin1

◆かってナポレオンは「今この部屋にソクラテスが入ってきたら、立ち上がって迎えるべきである。しかし、キリストが入って来られたら、ひれ伏してお迎えすべきである」と言ったそうだ。あのナポレオンも誰を恐れるべきかをよく知っていたようだ。真に「恐(畏)れるべきもの」とは、自然や人ではなく、創造主なる神なのです。

◆聖書は、恐れるなと繰り返し語っていますが、また「恐れなさい」とも言っている。神の何を恐れるべきなのか、第一は、神の聖さである。神は聖なる存在である。「殺すな。姦淫するな。盗むな。偽証するな」といった倫理的命令の絶対性はこの神の聖さに支えられている。聖なるものを恐れてはじめて、善悪の基準に確信が持てるようになるのだ。

◆神はまた、人を裁く権威を持っておられるお方である。誰も神の裁きを免れる者はいない。歴史の終わりに、神による最後の審判があると聖書はくりかえし断言している。神は不公平なお方ではない。決して間違った判断はされない。見のがしもない。終わりの日には、すべての人はその行いにしたがって永遠の裁きを受け、天国か地獄に振り分けられる。
 「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)

過去の記事