『 ディアスポラ(散らされた人々)?としての想定内の歩み』 (福島第一聖書バプテスト教会)4/3分

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◆「人生の道のりは、往々にして私たちの想定外。けれども、それら想定外の出来事の背後に主が立っておられます。想定外こそ、信仰者の想定内。そう達観しつつ、天と人として歩みましょう」(佐藤彰著「順風よし、逆境もまたよし」)とメッセージされる佐藤彰牧師は、混沌の真っただ中に突然置かれまず最初に手をつけられたことは、まず主に礼拝をささげることでした。

◆避難生活の地から知らされる(ホームページ)ことは、家もなく、着の身着のままの神の家族が毎朝礼拝をささげ続けておられます。

◆佐藤牧師がまず最初に手をつけたことが主の宮を整えることに全力を注いでおられることである。こんな時、どこからどう手をつけたらよいのか、頭をかかえてしまうことだろう。

◆どんな時にも、想定外の起こっても、まず、私たちにとって大事なことは、何をなすかということよりも、どこに立つかということを教えられる。

◆神を第一にしたからといって、ただちにあたりのさまが変わるわけではない。依然として問題は問題として残り、苦しみは苦しみとして残る。しかし、一つだけ変化が起こっている。それは主が「わたしはあなたと共におり、恵みを与える」と約束しておられることである。神は契約の神である。

◆私たちは現実の解決だけに心を奪われることが多い。どんな暗い谷底にあっても、慌ててはならない。望みを失ってはならない。今なすべきことは、主の前に自らを整えることである。礼拝者として信仰の基を築きなおすことである。そのとき、東雲は白み始め、暗夜は明けをそめるのである。福島第一聖書バプテスト教会の方々と佐藤彰牧師の神の家族に神の祝福を心から祈ります。

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