『 偏見がある人 〜 ナタナエルの場合 ② 〜 』12/4

Shin1

◆ナタナエルが神様に用いられた理由は、「真実な人」であったからです。ナタナエルは、ありのままの姿でイエス様の前に進み出たときに、彼の偏見はいやされました。神の前に正直こそ力なのです。

◆私たちにとって問題なのは、現実の苦難ではなく、真実さです。私たちは、皆完全ではありません。足りない者があり、弱い者です。私たちはあるがままの姿(真実)で、主の前に出ることです(ヨハネ1:47)。

◆次に、真実な人には天が開かれます。世の人たちは、あの手この手で真実な人を倒そうとします。しかし、真実な人には天が開かれ、神様の助けの御手が臨むのです(ヨハネ1:50〜51)。真実でないならば、どんなにがんばっても何も得ることのできない人生が待っています。しかし、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず」(II.コリント4:8)。このように告白できるのは、八方ふさがりの状況であっても、天が開いているためです。

◆3番目に、真実な人には真の信仰の友が与えられます。ナタナエルの横には、いつもフィリポという友がいました。険しい人生の道に、真実な友を得ることほど大きな祝福はありません。信仰の同志とともに勝利を与えてくださる神様の真実なしもべとなられることを祈ります。

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