・大抵どこの教会でも、天国に行った方々を憶えて一年に一度記念礼拝があります。
(仏教では一周忌、三回忌、七回忌・・・・)にあたるかもしれません。
教会では毎年 記念礼拝があります。
私たちの教会は9月に(召天者記念礼拝)をささげます。
今年は今までの6名の方々に加えて、若かった婦人H子さんの写真が飾られます。
H子さんを偲んでエピソードを紹介します。
・13年前教会を立ち上げる時、H子さんは特に女性の目線で、骨を折って下さった
お一人です。
・東京のある教会が「いらなくなった椅子が30脚あるから差し上げます、取りに
来て下さい」との声にH子さんはためらうことなく、買ったばかりの新車を使って
頂きに行く事申し出て下さいました。
新車にキズがつくのではと心配しましたがその時のH子さんのセリフ
『この時のために、教会でもちいられるため、荷物もいっぱい載せられる車を
買いました』
・また、開拓を決断した時H子さん家族は住んでいたマンションから教会の近くに家を
建て引っ越しました。
ご主人の会社には遠くなりました。
その時もH子さんは
『どうせ家を建てるなら教会生活を中心にしたいから。。』と
いさぎよい信仰の人でした。
・H子さんがかつて「教会五七五サロン」に投稿したものを紹介します。
「ダイエット 一石二鳥の受難週」
「断食祈祷 せんべいだけよとつまみ食い」
「受難週 卵の飾りを作ろうと 今日もメニューは卵焼き」
◆イスラエルの安息日は、金曜日の日没から翌日の日没までです。イスラエルでは、一日は朝から始まるのではなく、夜(日没)から始まります。神は夜という安息から一日を始められ、夜の間に勝利の一日を歩むための満たしを、霊肉ともに備えてくださるのです。この安息日が、新約の時代にはイエス様の復活を記念する主日へと変わりました。主日とは何をする日でしょうか。休む日です。「休む」ということばを別のことばに置き換えるなら、「武装する」ということです。私たちは主日にみことばで武装し、整え、力を蓄えて一週間を始めるのです。
・「英国から来日した聖公会宣教師、B.Fバックストン(1860〜1946)は
日本で語った百にのぼる説教の概略を書き記したノートを大切にしていた。
後にこの貴重なノートを与えられた竹田羔一師は、そのノートからバックストンの
説教についてこう述べている。
『先生は神が何を語り、何をなさらんと欲していたもうかに傾聴されたのです。
先生は神のメッセージを確信することが大切だと指摘しておられます。
さらにメッセージの展開と運用についての克明な記述があり、最後に
「火なくしてすべてむだ あなた自身が感じなさい
そうすれば聞く者は感じます」と結ばれていました。
私はこの結語にある二字「火」と「感じる」に非常な感動を覚えました』clayより
・教会員のY子さんは何年も前から、牧師の顔をみると決まって笑顔でこうおっしゃい
ます。
「先生!感動されましたか?先生の感動がメッセージを聞く私にも伝わってきます。
先生メッセージの準備のため祈ります、感動されるよう祈ります」と。
・語る務めと聞く側の勤め、この緊張関係、それは祈りです。この祈りに支えられて
牧師は神の前に座するのです。
・なんと多くの方々の祈りに支えられていることでしょう。
牧師に代わり感謝します。