今週の一面 『 命[ちぬ]どぅ宝(命こそ宝) 』 6/23

Shin1

◆「元来、沖縄には、"人を殺す"という言葉はありませんでした。
"クルスン"とか"タックルスン"といった殺すという意味の方言はあります。しかし、この語は牛や豚、蛇などの動物に対して用いられていたもので、人間に適用される時には、たたくなどの意味しかもっていませんでした。言葉がないということは、その機会がないことの証拠でもあります。ちなみに、戦前、沖縄では、殺人事件はほとんどなかったのです。あったにしても例外的な事件でした。

◆また、"命どぅ宝(命こそ宝)"という言葉が敗戦後の人命尊重と平和主義のキーワードとして定着しました。命を重んじ、死を忌避するこの語は、戦前戦中は禁句であったに違いありません。
"命どぅ宝"は、死を美化したかっての玉砕思想とは逆の発想です。玉と砕けるよりも、瓦となって命を全うする生命尊重の積極思想です。"沖縄戦から九死に一生を得た県民が実感したのは"命どぅ宝"で、命の尊さと生きていることの充実感です。」(「和解の福音と沖縄」(いのちのことば社発行)金城重明那覇中央教会牧師著より)

◆1945年6月23日、沖縄戦の組織的戦闘は終息しました。沖縄の住民にとって、8月15日の敗戦よりもこの日に戦争が終わったという実感があります。県民は沖縄戦の悪夢から解散され、県条例で「慰霊の日」と定められ、平和学習や集会などが催されてきています。私たちも、命の尊厳性や平和のキーワードとして覚えたいと思います。私たちにとって命の尊厳と平和は、キリストの十字架の贖いに基づけられて醸成されました。キリストは、死ぬべき私のために死んで、私を生かしてくださったのです。

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