〜オリーブの香り〜 No68 『モリヤ山』 

MxM

ハレルヤ!

結婚25周年と自分の誕生日の記念にと、この夏長野は諏訪にある守屋山に登ってきました。
夫の趣味が山登り・・・結婚当初は、3000メートル級の山々に登ることが多くて、肉体的に苦しくて、2度と行かない!と思っても翌年また登るを繰り返し、いつの間にか年齢を重ねる度に、体力は落ちるけれど、そうした大自然に挑むアクティビティを楽しく思えるように変わってきました。
今年は富士山が世界文化遺産に認定されたせいか、こちらにチャレンジする人も多いようですが、視界の中に人間がいない山ばかり登ってきた私には、物凄い人数で数珠つなぎになって頂を目指す登山に積極的になれないところがあります。
さて・・・バプテスマを受ける数年前に、ある人から「あなたの名前は聖書に出てきますよ」と言われたことがあり、気になって調べた事がありました。

『神は命じられた。あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす捧げ物としてささげなさい』
創世記22:2

ウィキペデイァにも、この日本の守屋山のことを聖書に絡んだ内容で紹介しています。
益々興味が湧いて、そうだ!半世紀生きた記念にアタックしてみようとなったのです。

過去、山に登ってきて一つの教訓を学びました。
それは、自然は美しいのではなく、恐ろしい。恐ろしいを通過して初めて美しいが感じられると言うこと。そして何が試されるか本当にわからないのです。
森林限界を超えてくると孤独を抱えるし、容赦ない天候の変化で肉体と神経がバラバラにされる感じもあるし・・・下界で見ることのないパノラマが無限に迫ってくる恐怖というのもあります。
神様に近づこうとする行動の一つに、山に登るということがあるならば、まさにその通りだとも思えます。

リュックの中身は私の場合、1リットルの水、懐中電灯、カッパ、バスタオル、ドライフルーツ、フランスパン、消毒薬、ティッシュなどが必所品。今はスマホのアプリに便利なモノがあるので、方位や気温、天体に関するものを全部取って登ります。

最愛の我が息子を差し出すために決心して歩む山道を、アブラハムはどのような気持ちで神様と向き合って登ったのだろう・・・
この諏訪にある守屋山に関しては、里山のせいかハイキング気分で登れるし、頂上は絶景パノラマが広がってるので、初心者にも向いてると思います。

MoriyaM.jpg
 
途中、急勾配がきつくて心臓の鼓動が乱れました。背中の重みがリュックの中身の重さではなく、自分の生きてきた重さ・・・いらないもの、しがみついてきたもの、手放せなかったもの、曖昧さ、不安や迷い・・・後悔や悔やみ・・・弱さを隠すための虚飾・・・いっぱい背負っている自分が必死になって頂上を目指しています。

頂上の岩に腰掛けて、ノンクリスチャンの夫に「聖書にはね、大切な息子を捧げる山として記されているんだよ!怖くて子供達を誘えなかったよ!」と・・・すると夫が「それじゃぁ、今日は僕が捧げ物なわけね!?」アハハハ~と笑うしかない私。

神様・・・若い頃はリュックの中身は軽くて、ただただ高い山を目指しました。あの歩みが年齢を重ねてガタがきた肉体になっても、まだチャレンジ出来る気力を与えて下さっているのですね。そうして今の私は山の頂上で、重い荷を下ろすことに素直になれそうです。

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