今週の一面 『 高齢者(長老)の信仰 』9/14

Shin1

◆自分が高齢者になって解ることは、体力・気力の衰えや、思い込み、頑固、怒る(短気)などマイナス面がみられ、心理学者ユングが「人生のたそがれを朝と同じ計画に従って生きることは不可能だ」と言っているのがうなずけます。

◆しかし、聖書は高齢者の存在をきわめて重要視しています。
主がイスラエルに行われた大いなる御業をことごとく民に伝えたと宣べています。大いなる御業とは、出エジプトの救いがあります。シナイでの契約の出来事、契約の地カナンへと主が導いてくださったこと等があります。「長老たち」は、こうした神の恵みの出来事の証人であり神の恵みの御支配と御計画とを民に語り教えたわけです。

◆信仰をもって年を積み重ね、信仰によって経験を積み重ねて、神の恵みの具体的な働きの尊い証人、それが「高齢者(長老)」の信仰だと聖書は語ります。「高齢者(長老)」を一言で言い表せばパウロが語っているように「神の恵みによってわたしは今日あるを得ている」ということでしょう。

◆新生讃美歌550番の2節に「いずこにもみ跡見ゆ」と歌われています。人生の過去に「主のみ跡」があるだけではありません。私たちの年齢のその先にも主のみ跡はあるのです。老齢になることは、前人未到と思って踏み込んでみたら、そこにも「主のみ跡」が先回りしてついていた。それを発見するのです。

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