昨日の礼拝のメッセージは、ヨハネによる福音書9章1~11の生まれつき目のみえない人が、イエスによって目が見えるようになったという箇所に基づくものだった。聖書には、この人が目が見えないのは、「神の業がこの人に現れるためである」と書いてある。

私は、以前我が家に出入りしていたF君(彼も全盲で、宇都宮から横浜にきて下宿暮らしをしていた)のことを思い浮かべながら、彼ならどう感じるだろうかとメッセージを聞いていた。彼は、目が不自由であることにめげず、自分の可能性を切り開き、一人の独立した社会人になったが、彼はどのように自分の障がいを受け入れ、何によって救われ、生きがいを、生きる意味を見つけたのか。

今週の風景 No.401  

管理人
良いお天気の主日でした。
盲人の救いは「心の目」を開くことによって起こりました。
賛美とメッセージがリンクした印象的な礼拝でした。

主よ、私の心の目を開いてください!
と打ち明けようではありませんか!

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聖 書:ヨハネによる福音11514

説教題:『信じるなら、神の栄光を見る

 

 (3名の信仰告白式があります)

 

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◆十戒とは「...すべし」「...すべきだ」「...すべからず」という厳しい掟、クリスチャンを縛る「戒律」だと思っている人が大変多いようです。ところがある時、集会で一人の先生のこんな祈りを聞きました。「神様、私たちは、聖書のどのページを開いても、『そのままあなたを愛している』というメッセージしか読むことができません。」

◆「十戒」とは英語ではThe decalogue(デカローグ)と言い、これは十の言葉という意味です。十の戒めではないということです。「十の言葉」に、その内容から何か説明的な言葉を付け加えるとしたら、「十の解放の言葉」というようなものになるでしょう。つまり、この十の言葉は、私たちを縛る言葉ではなくて、解放する言葉なのだということです。

◆私たちは十戒によって、天の父のあたたかさを感じ、イエス様にある自由を味わい、聖霊によってますます新しく造り変えられ勝利の人生を自分のものとしていくことができるのです。

<3つのポイント>
・一番目は、私たちを愛し、心配してくださっている天の父が、
 私たちを守るために与えてくださった愛の言葉です。
・二番目は、十戒は解放者である神が、私たちを古い自我の奴隷
 状態から解放して、新しい自由な生き方に移すために与えて
 くださった言葉です。
・三番目は、十戒は聖霊が私たちの「新しい自分」を強め、成長
 させるために与えてくださった道具であるということです。

◆この十戒によって、限りない成長の生涯を送ることができるということを覚えて、これから十の言葉を学んでいきたいと思います。

( 石田政美 )

今週の風景 No.400  

管理人
秋晴れの主日でした。
今日は松崎牧師によるフィリピ4章4-7からのメッセージでした。

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「思い煩わず感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」
Simple is best!
でスッと胸に入ってきました。

さぁ、11月の就任式に向けていろいろ盛り上がってきましたよ!
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