今週の一面 12/14

Shin1

◆2005年の12月に、私はイスラエル旅行に行きました。パレスチナのベツレヘムにあるイエス様が生まれた場所とされている教会を訪れました。丁度待降節でしたので教会では立派な服を着た聖職者たちが礼拝のような儀式を行っていました。

◆私たちは生まれたばかりのイエス様が寝かされていたと言われている場所の写真を撮ったり、手で触れたりして感動しながら教会の中庭に出て、ヒエロニムスの像の前で天を仰ぎながら「きよしこの夜」を讃美しました。しかし、その中庭の壁一枚隔てた外側の路上では、貧しい小さな子どもたちが観光客に「一ドル、一ドル」と言って物を売っていたのです。彼らは必死でした。なぜなら、稼ぎが悪い時には家に帰って親に叩かれてしまうからだそうです。私はその事実を聞いてとても複雑な思いになりました。天を仰ぎ、喜びと感動に浸って、気持ちが高揚している自分が少し恥ずかしくなりました。

◆イエス様がこの世にお生まれになったのは、私のためであると同時にあの壁の向こうで必死になって物を売っている子どもたちのためでもあるのだと思い知らされたからです。

◆彼らはイエス様が生まれたとされる場所のすぐ近くで生活をしていながら、イエス様を知らないのです。子どもと言うだけで大人たちから、また、社会から虐げられている。そして、生きるために必死になって物を売っている。彼らが稼いだお金はすべてが彼らの生活費になるのではなく、一部は税金として納められ、自国を守るための軍事費とされるのだそうです。その時私は、インマヌエルの神はどこにおられ、誰と共におられるのかと考えさせられました。                 

(松﨑 準)

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