こんなつらいことが、本当に神様の計画だろうかとその時はいつも疑ってしまう。しかし、時を経て初めて神様のご計画であり、恵みを受けたのだとわかる愚かさ。「あー、信仰の薄い者よ」という神様の嘆きが聞こえてくる。そんな私の人生の岐路にあって受けた恵みを紹介しよう。

新しい歌が生まれました。

礼拝堂をお借りしてゴスペル練習を積んでいる私達に毎回お話をしてくださる牧師の放った言葉が、メンバーの心を捉え、その詞を使いブギウギの軽快なリズムに合わせて完成しました。

いつだったか、生と死について話して下さったときのこと。
肉体的な生まれる、死ぬということではなく、body mindに注がれるspiritの意味を学ばせて頂いて...

今日が生まれたてで、未来に向かっては今日が一番若い日!なんですよ〜と。
30代から60代までの女性が所属しているグループですから、『若い』という言葉には過剰反応してしまい、それ以来挨拶変わりに、私今日が一番若い日、あなたも今日が一番若い、をよく口にするようになりました。

神様と繋がっているということは、毎朝、新しい命を頂くこと。

未信者の彼女達の位置に合わせて、府に落ちるように話して下さり感謝です。

サビのメロディに向かう盛り上がりの箇所で、私達は大きな声で歌います。

『牧師がこういうの♪今日が一番若い日♪』未熟な私達に、これから先もたくさん学ぶことを若いと言う言葉に携えて教えて下さったあの日に感謝します。

by MxM

〜失うことについて〜
◆「私も、失うときには、失うのだ」(創世記43:14新改訳)この御言葉は、ヤコブの晩年に口にしたものですが、人生の悲哀を感じさせる痛切な響きを持っています。

◆彼は、若いときから力にまかせて人生を切り開き、それによって成功者の一人に数えられてきた人でした。しかし年を重ねるにつれて、 今度は、失うという現実が自分にも例外なくのしかかってきているのだというやりきれない思いが「私も」ということばににじみ出ています。

◆人生は、得ることと失うことの連続です。得て喜び、失って悲しむことが繰り返されています。そして、一般的には、若いときには得ることが多く、年をとるにつれて失うことが多くなるものです。年をとるとは、いろいろなものを失うことなのだと知らねばなりません。

◆健康が失われます。かつては楽々とできたことが、一年一年苦痛になってきます。ある人は視力を、またある人は聴力を失います。また仕事を失います。それにつれて、そこにあった栄誉や、まわりの人たちの期待も失われます。伴侶や友を死によって失い、ときには財産を失うようなこともあります。

◆だれ一人、失うことから逃れられる人はありません。この現実に対して、ある人はあきらめ、仕方がないと言うでしょう。ある人はそれに抵抗し、できるだけがんばろうとします。しかし、最も賢明なのは、失うという現実をしっかりと受け止め、それを人間としてさらに成長するための糧とすることです。なぜなら、年をとることは、人間としての価値まで失うことではないからです。

(石田政美)

2015年3月1日 【石田政美牧師】

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聖 書: ヨハネ16:2933

説教題:「わたしは既に世に勝っている」

 

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2015年2月22日 講壇の花  

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