今週の一面 『献身して教えられたこと(1)』 2/22

Shin1

〜失うことについて〜
◆「私も、失うときには、失うのだ」(創世記43:14新改訳)この御言葉は、ヤコブの晩年に口にしたものですが、人生の悲哀を感じさせる痛切な響きを持っています。

◆彼は、若いときから力にまかせて人生を切り開き、それによって成功者の一人に数えられてきた人でした。しかし年を重ねるにつれて、 今度は、失うという現実が自分にも例外なくのしかかってきているのだというやりきれない思いが「私も」ということばににじみ出ています。

◆人生は、得ることと失うことの連続です。得て喜び、失って悲しむことが繰り返されています。そして、一般的には、若いときには得ることが多く、年をとるにつれて失うことが多くなるものです。年をとるとは、いろいろなものを失うことなのだと知らねばなりません。

◆健康が失われます。かつては楽々とできたことが、一年一年苦痛になってきます。ある人は視力を、またある人は聴力を失います。また仕事を失います。それにつれて、そこにあった栄誉や、まわりの人たちの期待も失われます。伴侶や友を死によって失い、ときには財産を失うようなこともあります。

◆だれ一人、失うことから逃れられる人はありません。この現実に対して、ある人はあきらめ、仕方がないと言うでしょう。ある人はそれに抵抗し、できるだけがんばろうとします。しかし、最も賢明なのは、失うという現実をしっかりと受け止め、それを人間としてさらに成長するための糧とすることです。なぜなら、年をとることは、人間としての価値まで失うことではないからです。

(石田政美)

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