今週の一面『 献身して教えられたこと(4) 』 ~神によって流される~ 3/29

Shin1

◆人生で決断を迫られるときが誰にでもあるを思います。小さな 決断から運命を決める大きな決断まで、ある意味では人生は決断の連続であるというふうにも言えると思います。

◆私の人生で最大の決断は、もちろん牧師になるということでした。しかし、この神の召しに、決断できず、必死に祈りました。 何か神から示されないか、聖書のあちこちを読みました。又、信頼する人に打ち明けました。できれば牧師ではなく、他の道で仕えることを願いました。

◆決断する材料のひとつになる文章に出合いました。「すべての仕事は眼についたところから、ちょぼちょぼやればいいのだ。そして未完で終わればいいのだ。神のごとき公平な判断とか、すべての仕事を完璧にやりおえて死ぬことなど、私たち人間にはできることではない。神によって流される生涯を生きればよいのだ。」

◆「神によって流される」ということは一見受身的ですけれども、「もし、神がお望みなのでしたら、仰せの通りになりますように」という積極的な決断、献身を迫る言葉でした。

◆献身の決断をしてから、「神によって流される」34年間、神がすべてを守り導いてくださり、必ずフォローしてくださいました。感謝!

「年老いて、しらがになっても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。」
(詩編71:18新改訳)

石田政美

過去の記事