今週の一面 『道の向こう』 8/16

Shin1

◆牧師室の壁に新しい絵を飾った。絵と言っても荒野に続く真っ直ぐな一本の道路と大きな空が描かれているだけ。牧師室で仕事をしているとき、ふと目を上げるといつもその絵の中の道が私の目に入ってくる。そのたびに私は自分がその道を歩いているような感覚になって、道の向こうに何があるのか、と考えてしまう。

◆道の向こうに何があるのか分かれば、そこに向かって気持ちを集中させ、様々な準備をしたり、綿密な計画を立てたりできるのに...と思ってしまう。45歳までに○○をし、50歳になるころには○○になっていたいなどと人生を自分勝手に思い描き、事を急ぐ自分がいる。それも悪いことではないと思う。

◆しかし、人は自分が生まれる時も死ぬ時も、自分でコントロールすることはできない。植物も植える時、収穫する時は、人が決めるのではなく、自然に聞かなければ分からない。病気になる時があり、回復する時がある。これも人の力ではどうにもならない。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレト3:1)と聖書は言っている。つまり、人が「時」をコントロールできるのは、実はほんのわずかなことだけなのだろう。

◆そうであるなら、道の向こうに何があるのか、主に聞くしかない。分からなくても苛立たず、その「時」を待ちつつ、主に信頼し、一歩々歩みを進めて行くしかない。きっと主が両手を大きく広げて待っていてくださるだろう。自分の思いや計画を断念し、主の導きに従うことを、その絵は気付かせてくれる。
(大した絵ではありませんが、一度牧師室に見に来てください!)

松﨑 準

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