今週の風景 No.443  

管理人
今日は伝道開始16周年記念礼拝でした。
石田牧師によるメッセージでした。

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モーセが荒野で作った青銅の蛇を見た(信じた)者は救われたように、私達は神様が与えてくださったヴィジョンに従ってここまで16年間守られてきたんだなぁ、としみじみ。

◆JOYチャペル16周年記念礼拝をささげる恵みを心から主に感謝いたします。

◆16年前「神様はご自分を愛する民に、なぜ苦しみを与え、荒野の道を歩かせるのですか」という心境でした。そして、黙想の中で得た答えは、イスラエルの民に「出エジプト」を命じ、荒野で礼拝をささげる幕屋(天幕)建設でした(出エジプト記25章)。

◆荒野は、人が住めない所であり、見捨てられた地であります。しかし、そこに苦しみと共に、栄光の主がおられるのです。荒野での天幕礼拝は、「荒野の中におられるキリスト」に出会うためであることがわかりました。それゆえに、荒野は祝福の地であり、恵みの地なのです。そのことを具体的に体験させていただいた16年でした。

◆JOYチャペルのシンボルマークは、「ノアの箱舟」です。あの狭い箱舟の中は荒野のような場、外を見ることもできず、多い動物たちと箱舟の中に閉ざされているのです。しかし、箱舟は洪水の間は、一番安全な所なのです。かいもなく、帆もなく、舵もなく、羅針盤もないのです。風の吹くまま、水に流されるままに行くのです。

◆しかし、その箱舟の船長が神様であられるなら、もっとも安全な場所です。

◆これからも荒野の旅が続きます。荒野にはキリストがおられます。その方は苦い水を甘い水に変えてくださり、天から雨のようにマナを降り注ぎ、岩から水を湧き出させます。その方はみことばとしてきてくださり、傷ついた心を癒し、罪ととがを赦してくださる幕屋となってくださいます。また、道を失った人生の火の柱、雲の柱となってくださいます。荒野に高くそびえておられるキリストを仰ぎ見つつ歩んでいきましょう。

石田政美

◆先週の巻頭言では、コリントの信徒の手紙一7章21節の「様々な訳の違い」にフォーカスを当て、私たちが聖書を読む際に生じる限界や豊かさ・多様性について触れ、それ故に、聖書を教科書やルールブックのように用いるべきではない、と書きましたが、では、どのように聖書を読めば良いのか、ということまで書くことができませんでしたので、今回はそのことを少し書かせていただきます。

◆繰り返しになりますが、聖書は教科書やルールブックのようなものではなく、生きた神の言葉が記されている道しるべであり、神から人間への問いが詰まっている書である、と私は信じています。それ故にこそ、聖書は私たちの都合や主張を優先させるために用いられるものではない、ということを大切にしたいと思うのです。

◆ファリサイ派や律法学者たちは、聖書(旧約聖書)を、正にルールブックのように、つまり、人を裁くために用いていました。私たちの聖書にも律法の書(モーセ五書)がありますが、イエス・キリストというフィルターを通して読むことで、律法の書は単に人を裁くための書ではないことがはっきり分かります。

◆最後に、聖書をそのまま素直に読むということはとても大切です。しかし、「そのまま素直に読む」ということは、書かれている文字をただそのまま読む、ということではなく、聖書に何が書かれているのか、その真理(メッセージ)をできる限り正確に理解するように努める、ということです。そのためには、時代背景や文脈、そして、誰に対して語られているのか、等をしっかりと押さえた上で読むことが必要不可欠なのです。その意味で、私は信仰と学問は両輪だと思っています。

◆今後も、神の前に謙遜な態度で、聖書の一節々を大切に読みながら、聖書に沢山詰まっている神の愛を分ち合いながら、共に教会を建て上げていきたいと願っています。

松﨑 準

聖  書:民数記 21:4~9

説教題:「イエスを仰ぎ見つつ走ろう 」

ー伝道開始16周年記念感謝礼拝ー


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今週の風景 No.442  

管理人
お久しぶりです!
9月第一週は会社の記念行事、先週はTOEIC初受験のためお休みでした。
今日は召天者記念礼拝でした。

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JOYチャペルは来週で16周年。
高校一年生になります。
この15年の間に10名の神の家族が天に召されました。
しかし子供達も沢山成長しました。

色々な事が動き出して変化する、そんな一年になりそうな気がします。
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