今週の一面『 もう一つの足跡 』11/22

Shin1

◆「ある人が夢を見た。砂の上に二人分の足跡が、並んで続いている。ひとつは自分のもの、もうひとつはイエスの足跡だ。ああ、神がいつも私と歩んでくれたのだ、と感動する。ところが人生のいちばん辛いところを歩いていた時、足跡はひとり分になっている。『主よ、私がいちばん苦しい時に、どうして一緒に歩いてくださらなかったのですか』イエスは答えた。『友よ、あなたが歩けなくなった時に、私があなたを背負って歩いたのだ』」(『聖書88の言葉』より)

◆2006年に私の父が64歳でバプテスマを受けた際、信仰告白の中でこんなことを言っていました。「これまでの人生を振り返ってみると、あの時も、この時も、あの一番辛かった時も、自分はイエス様を知らなかったけれど、イエス様が自分のことを知っていてくれたことに気がつかされました。それによって、自分のこれまでの歩みがすべてキリストという一本の線で繋がったように思います。」私はその父の言葉に驚き、本当に父はイエス様と出会ったのだと確信しました。

◆問題や課題の只中で苦しんでいる時、私たちは孤独を感じ、自分独りで歩いているように思ってしまう。しかし、振り返ってみると、色々な場面であの人が助けてくれた、この人が一緒に祈ってくれた...ということを思い出すでしょう。一人分の足跡は、自分のものではなく、自分を背負って歩いてくれたイエス様のものであることに気がつくでしょう。

♪たとえばわたしが、歩けなくなっても、わたしを背負って、共に歩いてくれる。たとえばわたしが道を外れても、わたしと共にいて、そこを歩いてくれる。共に生きる喜びかみしめながら歩いて行く、わたしのそばにはいつももう一つの足跡♪
(新生讃美歌570番「たとえばわたしが」1番)

松﨑 準

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