〜オリーブの香り〜 No181 『朝のルーティーン』

Shin1

牧師は早起きを勧めておられる。私も早起きを実践していると。ただし、早起きをしているのではなく、早く目が覚めるのである!?。そこで、聖書を読み、祈るときがあれば模範的な信徒となるわけであるが、現実にはそういかない。
私は、ある時から朝の手順(ルーティーン)を決めている。やることだけではなくその順番と時間も含めて、ほぼ機械的に実行している。
5時起床、猫のえさと水を入れ替える。朝刊をポストからとってくる。朝飲む薬を服薬し、お茶を急須にいれる。新聞を読み、お茶を飲む。シャワーを浴び、歯を磨き、ひげを剃る。着替えて、髪を整え、6時に玄関を出る。駅から6時17分発の電車にのる。
ちなみに、いつも同じ電車に、同じ場所(9号車の2、3番目の乗車口)からのる人がいる(少なくとも3人)。あー、この人たちも朝のルーティーンをこなしておるのだと思うと妙な連帯感を覚える。誰かがかけていると、病気か、休みなのかと、知らない人なのに気になってくる。不思議な関係である。
もちろん、時には遅い勤務の時もあり、出張もあるけれど、この規則正しさが一日を支えているのだと感じる。この手順が狂うと何となく落ち着かない状態になる。例えば新聞休刊日、新聞を読む代わりに、考える時間があるとつまらないことで心が騒ぐことがある。
誰もが、意識していようと、そうでなくてもこの手順をお持ちのことと思うが、規則正しく朝の手順をこなすことは、精神衛生上もとても良いようである。今日は仕事にいくのがつらい、憂鬱だという日でも、何も考えずにある意味機械的にこなしていけば、気づいたときには、とりあえず玄関を出ているという状態になれる。
その後の一日は同じに過ぎていかないし、ましてや人生は起伏と変化に富んだものだからこそ朝の規則正しい手順は大切なのだと思う。これは神様が弱く、脆く、何事にもくじけやすい人間に与えてくださった知恵なのではないかとさえ感じる。
週の初めに礼拝にでること、一日の始まりを規則正しく手順をまもることで私の生活は支えられている。この朝の手順を実行し、心のうちに響くみ言葉があれば今日も大丈夫だ!と言い聞かせている。
今日も少し憂鬱な私のみ言葉は、ヨシュア記1章9節。
「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたが、どこに行ってもあなたの神、主は共にいる」。

By とうちゃん

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