ハレルヤ!

地方の友人が、横浜に遊びに行きたいと言ってきたなら、私は11月をお薦めしている。

金貨の如く色付いた銀杏の葉や実が、冬支度の街並みに柔らかい彩りを与えてくれているし、港から見える海の蒼さも、スラーを描くカモメの白羽が溶け込んで、調和のとれた息づかいを促してくれる。

ちょっとウォーキングがしたくなった。
散歩ではなく、早足で歩いてみる。
みなとみらい線は、元町中華街駅で降り、山手方向に足を運んでみた。
勾配のきつい坂が多いため、一般車両進入禁止の道が方々で繋がっている。
ノスタルジックな佇まいと閑静な街に建つ西洋式の屋敷を眺めるだけでも楽しい。

石段を登ったり降りたり、いい運動だ。
休憩を入れて足を止めると、一軒のお宅の庭先延長区画に、『バプテスト神学校発祥の地』と記された記念碑が建てらていることに気づく。
また少し歩くと、誰が管理しているかわからないような草地に『バプテスト発祥の地』という石碑が建てらていた。

驚いた、こんな場所に、誰もかれも目を留めることのないような処に、それらが記されていた。

アイスクリーム、ビール、スカーフ、競馬場、様々なものが横浜発祥であることは、多くの人が知るところだが、ピンポイントで、バプテストが派生した拠点はここ!というところに、導かれるなんて...歩いてみなければわからないことだった。

*そのときから、イエスは『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた*マタイ4章17節

イエス様は、今尚ウォーキングされている‼
主の御心のまま、たゆまぬ歩みとなりますように...

by MM

◆イエス様は死なれる前の晩、驚くべき宣言をされました。「わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。」(ヨハネ17:4)。

◆どうしてイエス様は「成し遂げた」と言うことができたのでしょうか。こう言い切るには公生涯での3年間の伝道はあまりにも短すぎるように思えます。10人の病人たちは、癒されたかもしれませんが、100人はそのまま残されたのです。最後の夜、やり残しの仕事がまだたくさんあったにもかかわらず、主は平安を持っておられました。父なる神から与えられた仕事を、完了した(成し遂げた)ことを知っていたからです。

◆福音書を読むと、イエス様はじつによく働かれたことがわかります。イエス様は病人や障害者を助けるために、食事も忘れて夜遅くまで働かれるので、弟子たちはイエス様が我を忘れていると思ったことさえありました(マルコ3:21)。

◆しかし、イエス様は決して仕事に忙殺されていませんでした。自分を必要としている人々のためには、時間を十分に用いられました。

◆それにしても主の宣教は、どうしてあんなに短かったのだろう。なぜ、あと5年、10年と続かなかったのだろうか。大勢のみじめな病人たちがどうして悲惨な状態のままにおかれたのだろうか。しかしイエス様が、この「早朝の祈りで、神の指示を待ち、有無を言わせない緊急な事に振り回されることなく、そして最後の夜に「わたしにさせるためにお授けになった業を成し遂げた」と言うことができたのです。

石田政美

早朝の爽やかな風、カーテンから漏れ出る陽の光を感じながら、また時折聞こえてくる鳥の声に耳を傾けながら目を覚ますことが出来る1日の始まり方が大好きです。誰にも邪魔されないこの時間を確保するために、隣に寝ている赤ん坊を起こさないようにそっと毛布から抜け出し、階下に下りて思いっきりカーテンを開け、暖かいお茶やコーヒーを少し丁寧に入れることが出来る日は思わずニンマリとほくそ笑んでしまいます。少し熱めの飲み物で身体を温めた後に祈りその日の聖書の言葉を声に出して読み、榎本先生の一日一章を読み、今日与えられた御言葉から力を得て始められる一日は、そうでなかった一日と比較すると、人や物事に対する対処の仕方(見方)が異なり、終えてみると「今日はあまりドタバタしなかったなあ~、感情的になって怒ることが少なかったなあ~、文句が少し減ったかなあ~、時間を有効に使えたかなあ~」なんてほんの少しですが、時間と自分に余裕をもって過ごせた気持ちになります。

そのような始まり方を毎日継続できたらどんなに素敵だろう、神様と1対1の関係をもって始められる1日を毎日もてたら...、と思いながら、寝不足で重たい頭と身体を起こすことができず目覚ましと格闘して負けてしまったり、私より先に目覚めて騒ぎ出す赤ん坊に勝てずその時間を放棄せざる得ない日を迎えたりと、毎日が理想的に始まるわけではない時が依然としてあるのです。木曜の祈り会でM牧師が「野球選手は小さな頃から将来の夢を叶ったものとして書くことが多いようです。また榎本先生も祈りは今『聞かれた』として行動し、『聞かれた』として既に新しい生活に生きる、これが未来を先取りしている信仰者の生き方である(一日一章より)ということをおっしゃっています」と教えて下さいました。それならば私も「そんな至福な時間を毎日与えて下さい」と祈り、与えられたと確信して書き日々歩んでいきたいと勇気付けられました。

『私は朝早く起き出て呼ばわります。わたしはみ言葉によって望みを抱くのです。わが目は夜警の交代するときに先だって覚め、あなたの約束を深く思います。』
(詩篇119:147-148)

By YS

今週の風景 No.447  

管理人
11月です。
礼拝を第一に、主を第一に、その上に自分を建ち上げることを再確認したメッセージでした。
自分は何の上に建つのか。
ブレない信仰が大事ですね。

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2015年11月1日 講壇の花  

hamu
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