〜オリーブの香り〜No185 『生きるとは誰かのためにいきること』

Shin1

ある特別養護老人ホームでの話。
90歳になるおばあちゃんが、こう語る。「夫が死んでしまって、生きていても皆さんの手を煩わせるばかり。息子にもいろんな負担をかけている。20歳の時が終戦で、必死で働き、子どもを育ててきた。一生懸命生きてきた。もう十分生きた。早く夫のそばにいきたい。」
そんな話を聞いたある牧師は、「おばあちゃんが生きているから、元気でいるから、介護する人は嬉しいのです。元気なおばあちゃんをみて、今日も一生懸命お世話しようという気になるのです。息子さんだってそう、私だってそう。体のあっちこっちが思うように動かなくて、思いどおりにならなくて、つらいかもしれないけれど。おばあちゃんが元気でいることが私たちの幸せ。生きることは、自分のためじゃない。誰かのために生きていくのです。おばあちゃんが生きていること、元気でいることだけで、息子さんや介護する人を幸せにしているのです。」

私も同じような会話を自分の母としたことがある。
戦争が終わったとき、20歳だった人は、10代後半の青春時代を戦争の下で過ごし、今年90歳になった。戦後の混乱した時代を必死に生き抜き、日本の復興を支え、家族を守ってきた世代である。「ALWAYS三丁目の夕日」という映画に出てくる鈴木オートの社長の世代であろうか。
一生懸命、大変な時代を生きてきた、だから私はもう十分。そういう高齢者が、人に迷惑をかけるばかりだからと言う。そんなことはない、だからゆっくりと一日一日をすごしてほしいと思う。しかも、あなたがそこにいるだけで、生きているだけで意味があると神様は言われている。

「生命は」(吉野弘)
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
(中略)
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が 
光をまとって飛んできている
わたしも あるとき 
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき 
私のための風だったかもしれない

「人間」が、「人と人の間」と書くように、神様が「生きることは誰かのためにいきること」と定められたのだと思う。

By とうちゃん

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