〜オリーブの香り〜No189 『成人の日に思う』

Shin1

今日は成人の日。成人式を迎えた人たちは、どのような感慨をもっているのだろうか。
昨今は、成人式の派手な服装が話題になったりする。ちょっと前は騒しい式のことが話題になった。私の時代は、成人式に出席するのは、余程の変わり者で「官」からお祝いなんかされたくないという意識が濃厚な時代であった。

私は、成人の日に何をしていたかという記憶はないけれど、何となく暗い気持ちでいたような気がする。将来に対する漠たる不安があり、少なくとも社会の未来も決して明るいものではなかった。思い起こしてみれば、私は自立もしていないくせに、不遜な若者であった。外面、体面を気にしていた。妙にプライドも高かったのかもしれない。でも内心は自分の将来どうしたものかという大きな不安を抱えていたことは間違いない。

成人式は、様変わりしていくけれど、若者の心情には共通のことが多いように思う。今の時代においても、これからの社会や日本の姿に関する疑問もあり、自分の将来や生活がどうなっていくのかという不安もある。そうした心情を抱えつつも、例えば、震災からの更なる復興に取り組みたいという若者、人々のために尽くしたいと決意する新成人には、心情を揺さぶられるものがある。

私の勤務先のチャプレンは、マタイによる福音書の「山上の説教」について、こう語られた。
「イエスが語りだして、開口一番言われたのは『幸いなるかな』である。私たちの聖書では、『・・・する人々は幸いである』という説明的な語り口だが、本当は最初から『おめでとう!』と祝福する語り口である。何より先に、どんな人間かは関係なく、神の祝福が最初から人間を包んでいるのである。自分が何か神の教えに相応しく生きることによって、自分の土台が築かれていくということではない。そうではなく最初に神が私たちを憐れんでくださって、『幸いなるかな』『おめでとう』と決定的に私たちを支持してくださる。私にとってあなたは決定的にかけがえのない存在だよ、あなたの将来はわたしが責任を負って備える、そういう決断を神がされた。この神の決意に支えられて私たちは生きている。それが土台である」。

若者よ、安心して自分の道を歩んでいこう。その土台は既に神様が作られたものである。その道には、神様によって計画された試練もあるだろう。けれどそれは、神様の決意による備えられた道なのだと思う。
この私も、当時、大人からみれば不遜で礼儀知らずの高慢ちきな成人であったけれども、何とか今ここにある。それは、まぎれもなく神様があらかじめ土台を作られて、祝福されていたからである。
そして、既に大人になって久しい私たちは、この社会をより良い形でこの若者たちに引き継げるように、少しずつでも「平和」への歩みを続けよう。

by とうちゃん

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