〜オリーブの香り〜No191 『国籍は天国に』

Shin1

高校のとき『Cross Cultural Communication』というクラスを受講しました。意訳するなら「異文化をまたぎ、コミュニケーションを通してお互いを知る」というところでしょうか。アメリカ、イギリス、イスラエル、インド、韓国、中国、日本と多岐に渡る国の人達と椅子を輪にして座り、互いの国の文化や価値観を分かち合い、異文化に触れる貴重な体験をさせてもらえた時であったと感謝しています。このクラスを通して自分のもっていた価値観が唯一・絶対ではないこと、また自分が正しいと信じていたことが見る視点を変えると決して正しくないことがあり得ること、また色んな視点に立つことの面白さを学び、視点を変えて観ることの大事さを教えてもらいました。

その頃の私は日本人の両親をもち、日本人であるという自分と、東南アジアで生まれ育ち、東南アジアの文化・価値観の中で生きている自分との中で自分のアイデンティティーを上手に作りあげることが出来ず混乱した時期を過ごしていました。それは高校卒業後に日本の大学に進み、日本の中に身をおいたときに顕著に現れ、自分のルーツである日本に住んでも日本人とはどこか違う自分を感じて落ち込んだり、実家に帰省して地元の人と触れても外国人である自分を感じ、どちらの国にいても根なし草のような自分の存在をどう受け止めればよいか分からず混乱しました。

今ならまさに青年期のアイデンティティーの確立期にあったなあ~と落ち着いて分析できますが、その当時は人と違う経験をたまたま積んできた自分の個性を自分に欠けた部分があるのではないかと感じ疎ましく思ってしまったのでした。そんな折、友人に誘われ何度となく通っていた教会で『わたしたちの本籍は天にあります。』という一節を耳にし、詳しい説教の内容は忘れてしまったのですが「そうか、私達一人一人が神に創られたものであるならば、私たちの国籍は天国にあり、私たちの真のアイデンティティーは『天国の民』で良いんだな」と妙に腑に落ちたのでした。それとともに根なし草ということは、どんな環境におかれてもチャンネルを切り替えられる良さがあるのかもしれないと高校時代の講義で教えられた多面的なものの見方を感じ、あるがままの自分を受け入れていく時となりました。成人(20歳)の頃からすると、×(かける)2倍+α程の歳となっていますが、成人の日が訪れる日毎に自分が悩んでいた20歳前後の頃のことを懐かし思い返します。そして、その時々において、神様が用意して下さった御言葉やその時々に必要な体験に支えられて生きてこられたんだと改めて思わされるのでした。

By YS

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