◆6月27日(金)"グレイスJOY"を行いました。とは言っても何か綿密なプログラムを組んだわけではなく、5名の対象者と7名のスタッフで一緒に時間を過ごした、ただそれだけです。しかし、それが教会のプログラムとして最も大切なことだと思わされました。一緒に歩き、同じものを見て一緒に感動する。一緒に食事をし、一緒に笑う。同じ時と空間を共にする。そして、そこに見えない主がおられる。こんな幸せなことはありません。

◆この日は朝から雨が降っており本来なら中止にすべきだったかもしれませんが、晴れ男のI先生をはじめ、晴れ女のM姉妹、O姉妹のおかげか天候は守られ、少し風がありましたが暑くもなく寒くもなく歩くのには心地良かったです。

◆歩きながら、何百何千という種類の美しい花を見ながら、また、反対側の広大な広場を見たときに、私はイエス様の説教(マタイでは山上の説教、ルカでは平野の説教)が心に浮かんできました。

「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。」(ルカ12:27~28)
 神に装られた花をとおして、イエス様が私たちに「思い悩むな!」と言って励ましてくだっているのを感じました。
この日は、風(聖霊)を受けながら、自然を通して神の存在と深い配慮を感じる一日となりました。また、教会の皆さんで一緒に出掛けたいと思います。

松﨑 準

宮城谷昌光さんの名作「孟嘗君」を読み返した。珠玉の言葉の宝庫である。読み返すのは4回目であるが、読み返すたびに出会う言葉が違う。読んだときの自分の状況や精神状態、或いは登場人物に託す願いというものが違うからだろうか。

今回出会ったのは、作品のラストに近いところで孟嘗君が語る言葉。

「人のいのちは、すでにあるものを守ってゆくというものではない。日々つくってゆくものだ。今日つくったいのちも明日はこわれる。それゆえ、いのちは日々生み出すものであろう」

巻末の解説を読んでわかったことがある。この小説は、阪神・淡路大震災をはさんで「神戸新聞」で連載され、大震災の後しばらく連載が中断されて、その後再開されて完結した作品である。エッセイ「孟嘗君の復活」の中で、神戸新聞の連載が終わり、約半月後に出版される『孟嘗君』について、「神戸のかたがたは、どんな思いでごらんになるであろうか。本になれば、わずかな行間になってしまう、そこに万感があるのはわたしもおなじである」と氏は述べておられる。

熊本地震と関わりをもっている今だから、出会った言葉であり、切実に胸に迫ってきたのだろうと思う。

今日の祈り
「神様、新しい朝を感謝します。与えられた今日一日にどんなことがあろうとも、あなたの定められた計画に従って、それが試練であろうと喜びの時であろうと、いのち輝く時であるよう導き、弱く脆い自分を励ましてください」

By とうちゃん

ハレルヤ!

締め切りは、とうに過ぎている...
わかってはいる。

月に一度、やってくる『オリーブの香り』のライター奉仕をさせて頂いている。

永遠の命に向き合いながら、原稿書きというタイムリミットに追われる。

つまり、過去に起きた出来事を思い出しながら、未来に姿勢を正し、〆切の今に焦るわけです。

最近、コーラス練習で使ってきた音源の整理をした。初期の頃はカセットテープに始まり、MD録音で音の財を築いてきた。iフォンアプリで録音している今を思えば、なんとも信じがたいアナログ手法。
しかし、このカセットテープのノイズと共に収まっている一曲、アンドレクラウチが歌う『Take Me Back』というバラード曲に、涙がこぼれた。

当時は英語の発音に気を取られて、日本語訳の深部に落ちないまま口ずさんでいたけれど、本当に珠玉の作品だと思う。

以下、インターネットで掲載されていた訳を載せます。
*******************
主よ 私を連れ戻してください
初めて あなたを受け入れた場所へ

主よ 私を連れ戻してください
初めて あなたを信じた場所へ

主よ あなたから随分遠く離れたような気がします
でも まだあなたの呼ぶ声が聞こえる
以前は知っていた とても簡単なこと
記憶が 私を引き寄せている
*******************

必死になってピッチを上げて歌っている自分の声が、繰り返し、繰り返し、賛美を捧げていた。歌詞の内容そのものが、今の自分の心を反映していることにも気づかされる。

結局、整理しようと思った音源機器は、全てそのままにした。

オリーブ原稿の〆切は、私を立ち返らせる期日なのかもしれない。

by MxM

◆あなたの家庭に危機がありますか。どのように克服しようとしていますか。

◆努力したにもかかわらず、仕方なく涙を流しながら別れる夫婦を理解できます。本当に別れざるを得ない深刻な事情が多くあります。しかし、問題が全くない家庭はありません。幸福な家庭、祝福された家庭の秘訣は、問題がないのではなく、家庭の貴重さを思い、祈りながら問題を克服し、乗り越えることにあるのです。

◆イサクは40才で結婚し、60才にヤコブとエサウを生みました。(創世記25:26)。20年間子どもがいませんでした。足りないものがあるとき、何かうまくいかないときに、不平を言ったり恨まないでください。20年間待ったイサクのように最後まで待って、神様の約束を信頼して祈りましょう。

◆現代の家庭の危機は、お金がないこと、健康を失ったこと、子どもがないことでなく、祈りがないことです。祈りがあれば、流されたり滅びたりしません。

◆最大の家庭の危機は、祈りを忘れ、祈りを放棄したときです。

「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(I.ペテロ5:7)。

石田政美

今週の風景 No.470  

管理人
今日は信徒メッセージ初登場の石田兄によるメッセージでした。
小学生の頃に父親が脱サラして牧師の道を選び福岡に移り住んだ同じ境遇を持つ兄弟だけに、「頑張れ!」と父兄参観のように緊張して兄弟を直視できませんでした。

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礼拝後のスモールグループ(分かち合い)の時に、ウンウンと思ったのが、私たちが試練を耐え忍んでいるのではなく、神様が、こんな罪深い私たちを耐え忍んでくれているんだなぁ、と言うこと。

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