Sちゃん 6歳の誕生日おめでとう。

あなたは遠く離れた九州で生活しているけど、あなたのことを思うといつも幸せになります。だからあなたの誕生日には、元気でいること、命を与えられていることを素直に喜びます。

ところで、私を「じーじ」にしたのは、実はあなたですよ。私は最初から「じーじ」ではなくて、あなたが生まれたその時から「じーじ」になった。そう、6年前、あなたが生まれたその時に、私は「じーじ」になった。「わお!じーじになった、じーじになった」と喜んだものです。

この6年間、あなたが残した殺し文句がいくつかあります。そのたびに「じーじ」はとてもうれしくなりました。
1.私が、料理しているときに、包丁で指を切ったら、「じーじ、猫手ですよ」と教えてくれました。
2.ある時、「あのね、あのね、じーじのことだーいすき」と言ってくれました。
3.「あーあ、早くじーじに会いたいなあ」と言ってくれます。

「じーじ」は、あなたが、病気をしたと聞いたら、夜も眠れないくらい心配します。痛い痛いと言っていたら、「痛いの、痛いの飛んでいけ!」ととなえてあげます。

どんなことがあっても、あなたをみていると生きているっていいなあって、神様からいただいた命を大切にしようと思います。改めて、ひいばあちゃんがいて、じーじとばーばがいて、お父ちゃんとお母ちゃんがいて、妹がいるって素敵なことだよね。

愛されるために生まれてきたあなた、でも人を大切にするためにあなたはいるのだと、「じーじ」は信じています。誕生日おめでとう、そしてありがとう!
By とうちゃん

 個人伝道は誰にでも出来ますが、どうしても省くことのできない資質というものがあります。

(1)キリストによる新生の体験者であることです。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」(Ⅱコリント5:17)これは最低の基準です。大切なことはキリストの御言葉に正確に服従し、信頼していくことです。

(2)隣人(失われた魂)に対して、キリストを伝えたいとの信仰的熱情に燃えていることです。「まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである」(ローマ5:8)。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)。
 以上二つのことは私たちがキリストに従ったときから変わらず、いな、ますます強く深く熱心に求めたいことです。隣人の失われた魂のために、今もなお招き続けていたもうキリストの心を思うとき、私たちは、

(3)あらゆる面でキリストの証人であろうとすることに努力を惜しまないでしょう。
 人と接するためにさまざまな工夫が必要です。あなたの場合、話べたかも知れません。しかし、あなたは何とか主キリストの証人でありたいとの熱意があるなら必ずそれを補う努力をするでしょう。あるいは聖書の知識に不足を覚えているかもわかりません。しかし、あなたはキリストを証しするために聖書をもっともっと学ぶはずです。使徒パウロが「なんとかして幾人かを救うため...どんな事でもする」(Ⅰコリント9:22,23)と救霊のための努力を惜しまないでいます。キリストの証人として生きることは「......共に福音にあずかるためである」(同上)と申しています。私たちも、同胞と共に、隣り人と共に福音にあずかりたいものです。(北原末男牧師)

 そのためには、まず私たちが礼拝や祈り会など、聖書の学びや交わりを通して、キリストの愛に深く触れなければならないでしょう。一緒に聖書を学び、キリストの愛を分かち合い、互いに励まし合い、共に祈り合って、キリストの愛を証しするために、出かけていきましょう!

松﨑 準

今週の風景 No.474  

管理人
神を恐れることは知恵の始まり。
毎日デボーションで読んでいる箴言。
もっとも優れたビジネス書とも言えます。
ビジネスマンの方にもオススメの知恵が溢れています。

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◆「個人伝道は、他の方法に比べて、実にだれにでもできるところに特色があります。アンデレやシモン・ペテロ、ピリポたちも当時の社会の中で特に知識層であったわけでも、社会的地位、あるいは財産、特別な能力があったわけでもありませんでした。しかし、彼らはすぐれた個人伝道者であったことを知ることができます。そして、今、あなたがイエスをキリストと信じて新生の喜びに満ち、隣人に対する心からの愛があるなら、たとえあなたが、どのような境遇にあっても、どんな才能の方でも、男でも女でも、あるいは老若を問わず、個人伝道をなすことができるのです。あなたは、いつでも、だれにでも、個人伝道ができることにすでにお気づきのことでしょう。あるいは、方法や語る内容は少なくとも、すでに個人伝道を行っていらっしゃるのではありませんか。そのような個人伝道を、さらに、もっと計画的に、永続的に、教会が行うために、どのようにしたらよいとお考えになりますか。」(北原末男牧師)

◆先日、私は台湾のカベナント教団が催した『ファイアーカンファレンス』という大会に参加しました。私はその大会で台湾の人たちを通して、深い主の愛に触れ、岩のように固い自分の心が溶岩のように溶かされ、心燃やされました。私はそこで得た心の灯火を早くJOYの皆さんと分かち合いたいと思わされました。灯火は誰に、どれだけ分けても減らないのです。灯火は主の愛です。自分が主に愛されていることを知ったときのあの感動を誰かに伝えたい、伝えずにはいられない。そんな思いが個人伝道につながっていくのではないでしょうか。だからこそ、個人伝道は誰にでもできる、あなたにもできるのです!

松﨑 準

ハレルヤ!

楽譜を手にした際、その五線譜の中に記されている拍子、テンポ、音符の動きなど明確になっているものと、スタッカート、フェルマータ、クレッシェンドと言ったニュアンスを汲むものと、大きく分けて2種類の表現方法を最初の段階で読み取らなければ、完成度の高い演奏に近づけないことがある。
ピアニシモで始まる音の出だしを、ある人は弱くと感じ、ある人は優しくと受け取る人がいる。

ところで、携帯にメールが送信されると、文字だけの場合と、その言葉に絵文字が付いてる場合では随分と違う解釈になる。
受け手に『おはよう、今日は暑くなりそうだね〜仕事終わったらジムに行って、いい汗流して来ます。』と、メールが来たら、文章だけを読むと、送信者は比較的元気な状態に感じますね。
ところが...
『おはよう😲 今日は暑くなりそうだね〜😩仕事終わったらジムに行って🏋🏿いい汗流して来ます💪💦』
絵文字が挿入されると、一日のスタートから目が回っている感じになり、暑くなりそうだね〜には、うんざりした顔に変わり、汗流して来ますでは、力振り絞って頑張ってるアプローチ。

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