今回入院と手術に当たっては、多くの方々の祈りに支えていただきました。感謝です。

大きな手術ではなく、比較的簡単な手術だよと言われて入院することにしたものの、実は不安と恐怖でいっぱいでした。いろんな人に入院すると伝えることは、何か大騒ぎしているようで嫌だったので、あまりお伝えしていませんでした。「そんなに大変なことではないよ」というポーズをとりたかった、強がってみせたかったのかもしれません。

しかし、入院が近づくとより一層不安が強くなりました。そんなとき牧師先生が一緒にお祈りをしてくれました。とても心が強くなりました。入院中、多くの教会員の方々にお祈りしていただきました。「祈れ、祈りは力なり」というけれど、本当にそうだなぁと今回実感しました。どれほど勇気づけられたかわかりません。

手術や術後の回復が順調だったから、そう言うのではありません。痛くて、つらかった、手術の時は恐怖心もありました。けれども、心は穏やかでした。それは多くの方々のとりなしの祈りによって神様に支えられていたからだと感じます。
また、今回の入院のための検査で、新しく見つかった体の中の課題もあります。しかし、それは神様が心して生きよ、ここに注意して生活せよと示してくれたのだと思います。

そんな自分の気持ちと状況をどう表現しようかと聖書を読んでいたらぴったりの箇所に行き着きました。

「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」(ヤコブの手紙5:13~16)

by とうちゃん

「しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。」(Ⅰコリント12:24,25/新改訳)

 使徒パウロは、人間の体は、神が実に巧妙に調和を持たせて創造されたことを述べた上で、教会は人間の体の構造に似ていると言っています。劣っている部分を優れた部分が補うことで、互いに調和し合うというのです。つまり、教会には調和が非常に大切なのです。
教会に集う一人一人が互いに「いたわり合う」ことがキリストをかしらとするキリストの体、教会の姿なのです。

 「教会はオーケストラにも似ています。指揮者はもちろんイエス・キリストです。私たちは異なる楽器を担当する演奏者たちです。各自が自分の役割を理解し、ほかの楽器との調和をはかりながら、ベストをつくして"霊的シンフォニー"を奏でます。その音楽によってメッセージを伝え、聴く人の心をいやすのです。教会は、この世のどんな集団とも違う存在です。人の集まりである以上、課題はつきませんが、それでも教会はキリストをかしらとする霊的な存在です。それにふさわしくあるために、私たちはどうあればよいのでしょうか。」(野田秀牧師)私たちはこの問いを常に持ち続けたいと思います。

 先日のリオ・オリンピックでは、男子400メートルリレーで日本は銀メダルという歴史的快挙を成し遂げました。一人一人の実力は、世界レベルからはほど遠いものですが、しかし、それぞれが全力で自分の役割を果たし、次の走者に100%の信頼をもってバトンを託した結果、素晴らしい成果をおさめることができたのです。このように一人一人が弱い存在であったとしても、互いに信頼し合い、委ね合うということも「教会の調和」を考える上で非常に大切なことであると思います。

松崎 準

私はクリスチャンになる前、教会の皆さんが聖書の言葉のいくつかは暗記していることにビックリしました。
「◯ ◯ の福音書にもこう書いてあるよ。他にも・・・」という具合に。
そしてこうも思いました。「僕はこの先クリスチャンになったとしても、残念ながらこのレベルにまでは達しないかな・・・」
しかし、クリスチャンになり13年、教会で礼拝のメッセージを聞き続けているうちに、こんな気持ちに変わっていきました。「この言葉、前も聞いた。毎日の生活の中でモヤモヤした気持ちになる時に、いつでも思い出せればいいのに!」
というわけで、これは覚えたぞという3つの言葉を紹介します。

1.「冷たいか熱いか、どちらかであって欲しい。」
   洗礼を受けるかどうか迷っていた時に覚え、その後生活の様々な場面で中途半端な
   気持ちでいる時にこの言葉を思い出します。
2.「神様のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
   どうして今、僕はこんな目に遭っているのか意味が分からん!と感じる時に思い出
   します。
3.「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
   なんかいい事ないなぁ、一体神様は僕がどんな気持ちで1日1日を過ごすことを望
   んでいるんだろうと考える時に思い出します。

聖句暗記、おすすめです。神様に聖書に感謝です!

byとと

◆「かつて、東大宗教学科主任を務めておられた岸本英夫教授は、日本の社会を評して『幸福そうに見える世界』と言った。天皇をめぐってのテロ行為、いじめの心理に病む教育の荒廃などと言いながら、まずまず世界での理想的安全地帯になっているのが今日の日本である。地上天国の八分どおりはできあがっている、というのだろうか。科学は進み、宗教も新薬のようにあり余るほどあって、心身のバランスをとっているおもしろい社会でもある。 よいもので満たされている幸福な社会。だが、何かが欠けているような気がする。『幸福そうに見えて』、ほんとうは幸福ではないのかもしれない。というのも、『よいもの』でいっぱい、そのために『いちばんいいもの』が見えなくなっているのでは、と思うこのごろである。」(奥村一郎神父『断想』より)

◆私はこれを読んで、「いちばんいいもの」とは何か、そして、それはなぜいちばんいいのか、と考えさせられました。聖書は二つの「いいもの」について語っています。①マルタとマリアの物語(ルカ10:38~42)で、イエス様は「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである...」と言って、御言葉を聞く大切さを教えています。②金持ちの青年の物語(マタイ19:16~22)で、イエス様は「...行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい...それからわたしに従いなさい。」と言って、ものに執着せず、主に従う大切さを教えています。

◆よいもので満たされ幸福そうに見える日本に欠けているもの、それはこの二つことではないでしょうか。主イエスの御言葉を聞くこと、主イエスに従って生きること、即ち、イエス・キリストというお方の存在を認め、信じること、これが今日の日本に徹底的に欠けているものなのかも知れません。
先にキリスト者となった私たちはこの日本で何ができるでしょうか?

松崎 準

今週の風景 No.480  

管理人
イベントの報告や教会関係の新来者など、夏休みの礼拝らしい雰囲気を醸し出していました。
私たちが神様から与えられた才能(タラントン)は何だろ?
それを惜しみなく捧げないとですね。(自戒も込めて)


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