~37回目の結婚記念日に~

今年も、あなたと一緒に迎えられる結婚記念日を本当にうれしく思います。共にいてくれてありがとう。心から感謝します。結婚して37年もたつのに、結婚当初以上にあなたのことがとても愛おしくてたまりません。あなたがいないと、とても寂しくなります。例えば、私が休みの日に、あなたがどこかに出かけていると、もう何をしていいか分からなくなるのです。でも、ここまで一緒にやってこられたのは、あなたの必死の祈りと忍耐、神様の具体的な支えがあったからですね。ありがとう。

結婚するまでは、俗な言葉で言うと何とか口説き落とそうと必死で努力しました。だから、結婚できたときは、何か自分の力で達成できたような気持ちでした。
しかし、今は違います。これこそが神様が私に与えてくださった大きな恵みであり、ご計画の一つだったのだとわかります。私の人生に起こった試練は、すべては神様の計画だったと以前お話しましたが、大好きなあなたが今も側にいること、それは私にとって「奇跡」です。

〜ダニエル書に生きている〜

◆大変な不安と恐れの時代になりました。世の終末を思わされます。ダニエルの時代と形は異なるものの、この世の主権者がますますその力を強固にし、民を深い不安へと駆り立て、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。ーーーそのとき、多くの人がつまづき、また互いに裏切り、悩み合うであろう。ーーーまた不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。」(マタイ24:7〜10,12)というイエスさまのおことばが、現実性をもって私たちに迫っています。

◆ダニエル書は、ヨハネの黙示録に並ぶ「終末預言書」です。神が終わりに生きる神の民に与えられた預言書です。なによりもダニエル書は、現代への実に大切なメッセージに満ちています。

◆ダニエル書は生きています。終末預言をテーマにしながら、終末期、あるいは、不安と恐れの時代に生きる信仰者に大きな希望を与えてくれます。それは「主を恐れる人々の生き方」とその力の秘訣を提示しているからです。

◆今こそ、生ぬるい中途半端な信仰を捨て、ダニエル書を通して示された真の主権者なる神に対する恐れと従順の信仰に生きましょう。必ず自らの身が守られ、祝福された信仰生活と勝利するクリスチャン生活の秘訣を知ることになります。

◆10月よりダニエル書の講解メッセージを語ります。

石田政美

今週の風景 No.484  

管理人
雨続きでしたが今日は久しぶりに晴れました!
石田牧師のメッセージも久しぶり。
向こう岸へ渡る箇所から、イエス様を寝かさないようにシッカリと呼び求めないと!
礼拝もPASSIVE(受け身)じゃなくてACTIVE(能動的)に、捧げていかないと!

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ハレルヤ!

この夏の誕生日に、とっても嬉しい、ちょっと変わった贈り物が、手に入ることになりました。

12㎡ほどの畑です!

こんもりとした森が隣にあって、鳥や虫や蝶が賑やかにシンフォニーを奏でている、有機肥料で全て耕されている土地です。
別の区画では、ヨーロッパの野菜が元気に育てられています。
今時の畑はオシャレですね。

さて、どうしましょう?
私は何を育てましょう?
ナスやキュウリやトマトは、何だか野暮ったい感じ...そうだ!ハーブ畑なんか、どうかしら?
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と、思い立ったら直ぐ種を購入して、小さなポットに、小さな小さな種を蒔いてみました。
苗にまで成育している鉢も合わせて、ひとまず我が家で様子を見ることに...
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一週間もしないうちに、芽を出し、二葉のベビー達がスクスク育ち始めます。

ラベンダー、ルッコラ、ローズマリー、カモミール、それから羊の耳みたいな、フサフサした毛が葉っぱの特徴の、ラムズイヤーも育ててみる事にしました。

ハーブの勉強を始めて、知れば知るほど『植物の力』の凄さを実感する。
戦いもせず、同じ場所から動くこともなく、与えられる自然の恵みを全て受け、傷つけば、自らの細胞にある修復力を発揮して、蘇る。

......今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる......マタイ6章30節

ヨーロッパの修道院には、薬草園が必ず栽培されていると言われている。
また、聖書には、実に多くのハーブの話が登場する。東方の3人の博士からの贈り物、没薬もハーブなる植物らしい。

聖書と関わりが深いハーブの学びは、これから静かに時を過ごす楽しみになった。

来春、畑がハーブで溢れたら、ブーケを作って、お風呂に入れたり、摘み取った葉を乾燥させて、お茶にしたり、キャンドルや石鹸も作ってみたいと思う。

それにしても、真夏の炎天下での農作業は、スポーツジムで流す汗と変わらず、ハードだけど、とても身体に気持ち良い。
病院に行く回数を減らし、ジム通いも辞めて、自然の中、植物の力を借りて、健やかになれたらを、土の上に立って祈ってしまう。

By MxM

Ⅰ列王記17章に預言者エリヤが登場します。
◆エリヤは主から悪王アハブのもとに遣わされ神のことばを伝えます。しかし、そのまま戦うのではなく、「ここを去って、ケリテ川のほとりに身を隠せ」と静まることを命じられます。ここに宣教に備える主の訓練を見ます。私達も主に用いられるに先立ち、主からの訓練を受ける必要があります。

◆私達は生活の中で色々な闘いに直面しています。その課題の大きさと、時間のなさ、無力さに心が騒ぎます。しかし私達にとって最大の敵は、生活課題を通して忍び込んでくる霊的闘と言えるでしょう。

◆私は23歳で父を亡くし、それをきっかけに母がアルツハイマー病になり、大学4年の時から困難な介護生活が始まりました。当時は介護保険もなくデイサービスなどの公的サービスもない時代でした。しかし最もきつかったのは自分自身の心の内に沸いてくる、怒り、悲しみ、汚れた思い、そして愛のなさと孤独感との闘いでした。

◆エリヤがケリテのほとりで、汚れた鳥の象徴であるカラスや、シドン人(異邦人)のやもめに養われなければならなかった人生の経験というのは、それまでの彼のプライド、常識、価値観が打ち砕かれていくものでした。 
「自分はできる」という自信が打ち砕かれ、主のみことばにすがるほかはない自分に砕かれ切っていく必要がエリヤにもありました。

◆そこを通ることで、生きて働きかけて下さる神様への全き信頼が養われていきました。そしてこれこそ、神の御力を注がれる上で必要なことでした。私も母の介護を通る中、自分の死と生ける神様の御臨在を体験させられたのでした。宣教とは、砕かれて死んだ私が、今は主の内に生かされている喜びを届けていくことに他ならないと言えましょう。

酒匂キリスト教会 勝俣慶信牧師

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