今週の風景 No.492  

管理人
アドベント第1週でした。
例年通り大きなリースが十字架の横に登場です。

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~オリーブの香り~ No 231 『感謝』  

Shin1

11/22「いい夫婦の日」、11/23「私たちの38回目の婚約記念日」、11/26「次女の31回目の誕生日」と「家族」のことや「生きること」、あるいは「出会い」ということを思う日々が続く。

振り返ると多くのことがあった。熊本の震災と復興支援への取り組みに参画したこと、阿蘇で働く娘を支えること、そんなこんなで一時期心身のバランスを壊したこと。夏に思いもかけず入院し、手術をしたこと。その後継続的な治療があったこと。そのおかげでいつにも増して、妻と一緒にいることが多かったこと。

自分自身や妻についても、娘に対しても、今年ほど、多くの人の支えが嬉しいと思ったことはない。娘の働く黒川温泉を訪ねてくれた人、メールや電話で、或いは手紙で励ましてくれた人、熊本の物産品を一生懸命買ってくれた人、私たちを気遣って食事に誘ってくれた人等々、「嬉しくて、嬉しくて、言葉にできない」気持ちを皆さんに改めて届けたい。

そんな中、大きく実感したことがある。「祈りによって支えられる」ということ。「祈っています」というその一言でどれほど助けられたことか、「一緒に祈ること」が実際の力になるのだということを本当に体で感じることができた。

いつの時でも、どこでも神の御手の働きがあり、私は励まされ、守られていた。いつも何かあると、「うろたえ」、「おののく」私への励ましの言葉は、このようだった。

「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(ヨシュア記1章9節)

「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神。地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなくその英知は究めがたい。 疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ書 40章28節~31節)

いよいよアドベント、クリスマスが近づいてくる。世界中が喜びにあふれ、人々の心が少しでも豊かになれるように。私もまた、多くの人たちのために祈りを捧げる。誰かを支えつつ、誰かに支えられながら歩むものでありたい。

by とうちゃん

今週の一面『世界祈祷週間』11/27  

Shin1

◆現在、日本バプテスト連盟はインドネシアとカンボジアに2組の宣教師、シンガポールにアジア・ミッション・コーディネーター、ルワンダに国際ミッション・ボランティアの6名の働き人を派遣しています。
◆インドネシアには、2014年9月から野口日宇満宣教師が、2015年6月から野口佳奈宣教師が派遣されています。長期滞在ビザの取得が難航していましたが、この8月に発行され、働きの基盤が整いました。スマランのチャンディ・バプテスト教会に所属し、日宇満宣教師は、インドネシア語を学びつつ、神学校での集中講義の授業補佐や、教会での宣教奉仕を担ってきています。また野口佳奈宣教師も語学学校に通い、教会の女性会の働きに加わって、インドネシアの方々との交わりを広げています。

◆カンボジアには、2015年3月から、嶋田和幸宣教師、嶋田薫宣教師が派遣されています。教会はCBU(カンボジア・バプテスト連合)のオフィス教会に所属し、和幸宣教師は語学学校での学びと、教会での宣教の奉仕、薫宣教師は礼拝中の子どもプログラムを通して、教会に仕えています。8月からは月に一度夕食会を持ち、共に食卓に着くことで交わりを広げ、また深めていっています。まだまだ貧しさの広がるカンボジアでは、子どもたちや牧師たちへの支援が必要とされています。

◆ルワンダでは、国際ミッション・ボランティアの佐々木和之さんの働きが12年目を迎えています。現地のNGOと共に、ジェノサイドの被害者と加害者、またその家族の和解の働きを進め、そしてまた、平和構築のための働き人を育てるため、大学で平和学を教えています。卒業生の中からも共に平和のために働く人が起され、希望が紡がれていっています。

◆シンガポールには、アジア・ミッション・コーディネーターの伊藤世里江先生が派遣され、3年を過ぎました。今年20周年を迎えたシンガポール国際日本語教会・IJCSの牧師としての働きをしながら、アジアの中心であるシンガポールで、アジアと連盟をつなぐ働きをしておられます。2016年度からは第2期の働きを迎えました。

◆以上の6名の方々それぞれのお働きを覚えて、祈り、献げていきましょう

松﨑 準

ハレルヤ!

その声を〜ひとつにして〜
その心〜ひとつにして〜
あなたの、栄光のために
用いてください♬
※ワンボイスより

11月13日、Joyチャペルでは、ファミリーコンサートが開催されました。

始まる前に、椅子を並べて下さった方。
受け付け周りを整えて下さった方。
扉の前に花を飾り、チラシを貼り出して下さった方。
控え室の中を使いやすいようにして下さった方。
そして、お祈りに覚えた下さった方々。

未信者ばかりのゴスペルグループを、招き入れて下さるだけに留まらず、演奏に多くの時間を与えて下さり、本当に心から感謝の気持ちでいっぱいでした。

16年、生活のほとんどを、このゴスペルコーラスグループに預け、途中バプテスマを受け、信仰の道を歩み、神さまを見上げ、みこころに耳を傾けたことによって、離れた人達と失った場所もあった。

しかし、一度も神さまの愛を歌うことを辞めることは出来なかった。

主が止めてくださらなかった...。

ファミリーコンサートには、40年来の友人5人が来てくれた。
そのうちの一人が、牧師の『内なる敵』の話と、教会のバンドさんに、教会の礼拝に出てみようと言う気持ちにさせられた、と言った。

嬉しかった。
ただただ嬉しかった。

私が友人だからではなくて、親しみやすいコンサートだったからでもなく、もっと深く直感的な主の働きが及んだ事を感じた。

覚えた曲を、練習の成果を感じながら、仲間と共に歌う喜びを遥かに超えて、私は主の道具となり、魂を預け、同じ信仰の道を歩む者を探り当てる時、曲の歌詞に光を見る喜びを知る。私にとってゴスペルとは、この瞬間のための音楽なのだ。

今日の礼拝で、40年来の友人と肩を並べて主を見上げた。
彼女は呟く...Amenと。

by MxM

     それぞれが与えられている賜物の調和

◆「見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。」
(Ⅰコリント12:24)

◆パウロは、教会の調和を、人の体に譬えています。この前後の12章~14章を読むと分かりますが、そこには「賜物」のことが書かれています。調和とは、教会における賜物の調和であるというのです。体の部分々が、見事な調和を保っているように、教会の一人一人の賜物が調和すれば、それだけ教会は健全でバランスのとれた状態になるのです。「賜物が無い人」はいません。1タラント、2タラント、あるいは、10タラントの違いはあっても、ゼロという人いません。そして、「賜物にはいろいろありますが、」(Ⅰコリント12:4)とあるように、賜物には様々なものがあります。

◆パウロは、体の中でほかよりも「恰好が悪いと思われる部分」と「見栄えの良い部分」について言及しています。教会の奉仕には、目立つものと目立たないものがあります。説教や奏楽、あるいは、リーダーとしての活動などは目につく働きです。逆に、お掃除や誰かの支えとなることなどはあまり目につかない働きかも知れません。もし、目立つ働きだけが称賛される教会であるならば、それは賜物の調和を欠いている教会ということになります。なぜなら、「神は見劣りのする部分をいっそう引き立たせて」(12:24)とあるからです。

◆そして、それぞれの奉仕・賜物を結びつけ、一つとするものは「愛」である、とパウロは言っています。どんなに優れた賜物があってもそこに愛がなければ意味がありません。「愛」は、体の器官と器官を結びつけ、調和させる血液である、と言うことができます。

◆「神は自然の中に色々な木を植えたように、人の中にも色々な才を配した。だから世界一立派な梨の木も、ごくありふれた林檎を実らせることはできないし、最も傑出した才能も、ほかのごくありふれた才能と同一の結果を産むことはできない。」(ラ・ロシュフーコー)

松﨑 準

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