横浜に結婚と同時に引っ越して来て、24年が経ちました。
こちらで初めてできた友人に去年大きな病気が見つかりました。
幸い早期発見でしたので、術後の経過は順調でしたが、子育てのストレスのせいで、命を落とすかもと先生に言われたそうです。

その彼女に「1人ではくじけそうだから、一緒にダイエットしよう!」と誘われました。
彼女が取り組んだのは、食事による体質改善。
体の中から美しくなる方法でした。

スナック菓子や、ケーキのかわりにナッツやドライフルーツを食べ、食事は自然の恵みそのままに近い状態でいただく(玄米などの精製されていないもの)とシンプルなものでした。
健康食品には手を出さず、びわの葉でお茶を作ったり、カリンでシロップを作ったりと安上がり。私も良いところだけまねをしました。

結果、彼女は人生初のMサイズになり、私は初めの1ヶ月で-3Kg、その後、手抜きでプラマイゼロ...
ダイエットは失敗したけれど、今感じているのは、食後にあまり眠くならない事、肌の調子が良い事、風邪をひく回数が減った事。

私の体も、食べ物も全て神様が作られたもの。
神様の恵みに改めて感謝します。

先日、我が家の自然の恵み、シークワーサーを収穫しました。
血糖値の安定、血圧のコントロール、ニキビ、老化、風邪予防、ガン抑制、リラックス効果等々...
小さいながらも優れものです。
皮ごと切って、三温糖につけてゆず茶風に。部屋中に爽やかな香りがひろがり、心も体も温まりますよ。

「地には草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て良しとされた。」(創世記1:12)

byゆかりん

今週の風景 No.494  

管理人
アドベント三週目は石田牧師によるメッセージでした。
ダニエル書から3人が燃えさかる炉に投げ込まれる箇所からでした。
メッセージでググッと力をもらい礼拝後のスモールグループでもググッと共感して力づけられました。

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     〜ダニエル書に生きる(3)〜

◆神は、世界の歴史を導かれる主です。ダニエルを通して、終末の時までの世界の歴史を前もって示して下さいました。

◆今、この世の主権者(「この世の神」と言われる「サタン」)は、ますますその力を強固にし、神の民を圧迫しています。ダニエルが預言している終末を思わされます。一方、ダニエルを通して示された真の主権者なる再臨の主が戸口に近付かれる足音が聞こえてきています。

◆月面を歩いた宇宙飛行士ジム・アーウィンは、そこで神の存在を確信しました。彼は伝道者になり、日本にも来られました。その彼が言いました。「人間が月の上を歩いたことよりも、もっと偉大なことは、神の子イエスがこの地球を歩かれたことだ」と。

◆神の子は、人間としてこの地に生まれ、33年の生涯を終え、見事にその任務を成し遂げられて天にお戻りになられました。

◆今年もクリスマスを迎え、救い主イエスさまのご降誕を祝いますが、一方、もう一度私たちをお迎えに来てくださるイエスさまをおぼえる時でもあります。幾千幾万の天使と共に、雲に乗って私たちをお迎えに来てくださいます。あなたの名前を呼び、あなたを迎え入れてくださる救い主がやがていらっしゃいます。クリスマスは2000年前にこの地に誕生された救い主を祝うと同時に、これからおいで下さる再臨の主をお待ちする日でもあります。 

石田政美

■11/26(土)-27(日)に日立教会に訪問してきました。
11/26は、日立駅から快晴の日立の海を眺め、その後日立教会へ。
祈り会、しもべ会(役員会)に同席させていただき、その後夕べの会食。
11/27は主日礼拝に参加。JOYチャペルから一緒に行ったS兄はメッセージ、私は証しと賛美の奉仕をさせていただきました。(ギターの弾き語りの賛美は何年ぶりか覚えてないぐらい久しぶりで緊張でした。(^_^;) )
本当は石田牧師の働きにただ一緒に同行させていただくだけの予定でしたが、石田牧師が怪我のため、急遽奉仕が回ってきました。。日立教会の皆さんは、期待していた石田牧師が行けなかったので残念な気持ちだったと思いますが、S兄と私だけの訪問をとても喜んでくださり、それはそれは大変な歓待を受けました。 聖書にある「旅人をもてなす」精神が皆さんから溢れでていて、本当に嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

■ 今回の日立教会訪問で改めて学ばされたことは、お互いのために祈る大切さ。お互いのために祈るためには、自分の今ある状況をさらけ出す必要があります。自分の恥をさらすようなことであっても、それを伝えなければ本当に自分の必要のために祈ってもらうことはできない。相手のために祈るには、その方がどんな課題を抱えているか知らなければ祈ることはできない。日立教会の方々は、自分の弱さをさらけ出し、祈る課題を分かち合い、互いに祈っておられるのだなあということがよくわかりました。そのような中で、私自身と、そしてJOYチャペルのためにも祈ってほしいと、いつも以上に自分の思っていることをさらけ出す自分がいました。

■ 昨年から始まった石田牧師の月一回の日立教会奉仕をきっかけに、日立教会とJOYチャペルの交わりが始まりました。片道3-4時間と決して近い距離ではない2つの教会の兄弟姉妹が共に神様にあって歩むことを喜び、お互いのために祈れる間柄であることが本当に感謝なことであると感じることができた今回の訪問でした。

■ 訪問中、会話の中で教会にお誘いしたい方々の話がよく出てきました。自分を救ってくださったイエス様、自分に愛を示してくださったイエス様を周りの方々に紹介することがとても自然なことであり、そのことをとても大切にしていることがみなさんの会話から伺うことができました。

■ イエスキリストがこの世にお生まれなさったことを覚えるクリスマスシーズンの今、日立でも、横浜でも、日本でも、全世界でも、一人でも多くの方々が、神のひとり子、イエスキリストがこの世に生まれた本当の意味を知り、イエス様の恵みに預かることができるように切に祈ります。

by しん1

今週の一面~教会の調和⑤~』12/4  

Shin1

      お互いの信仰と性格の調和

◆ 「人間性」とは、その人が生まれつき持っているものに、時代、環境、教育等の影響によって形成されたものが加えられた性質です。それは「十人十色」と言うように、実に多様です。「霊性」とは、イエス・キリストを信じる信仰が人間性に影響を与え、生き方や考え方、価値観等に変化が生じた性質です(ヨハネ1:13参照)。信仰によって人間性が失われるものではありませんが、人間性と共にあった罪が赦されることによって、性格にも霊性の実が結ぶようになるのです。しかし、信仰と性格の調和がすぐにとれるとは限りません。例えば、集会や奉仕に熱心であっても信仰の知識は増し、クリスチャンとして生きていても自信過剰であり、良識を欠いているというようなことがあります。反対に、温かい性格で人にも親切であり、きわめて常識人であるのに、教会のこととなると「神第一」とは言えない生活ということもあるのです。これらは信仰と性格の調和の問題です。

◆ 教会内に何らかの摩擦が生じ、調和がとれないとすれば、それはお互いの「人間性」から来るものではないでしょうか。異なる人間性同士がぶつかり合うことで調和が難しくなるのです。
 教会が一人一人の人間性の相違を超えて調和するためには、一人一人の「霊性」が高められて、教会が霊的な存在となり、神の憐れみと共に、お互いの忍耐や犠牲がなくてはなりません。この霊的な部分を失っては、教会は存在することができません。

◆ 「主は一人、信仰は一つ、バプテスマは一つ」(エフェソ4:5)とあるように、どこまでも信仰は一つです。教会には、お互いが、聖書が示している「一つの信仰」を確信しながら、人間性の違いを乗り越え、互いに認め合い、赦し合うことによって、「霊による一致」(エフェソ4:3)という調和が与えられます。そのためには、「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ち、愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊によって一致を保つように努める」(エフェソ4:2,3)歩みが必要です。

松﨑 準

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