今週の一面『詩編1編(詩編全体の序文)』1/22

Shin1

◆詩編第1編は、詩編150編全体の序文として置かれています。つまり、詩編第2編から第150編までがこの詩編第1編にギュッと凝縮されているということが言えるのです。その証拠に1節の最初の「いかに幸いなことか」の「幸いなことか」という言葉はヘブライ語でアシュレーと言い、ヘブライ語のアルファベットの最初の文字アーレフで始まります。そして、6節の最後の「滅びに至る」の「滅びる」という言葉はヘブライ語でトベードと言い、ヘブライ語のアルファベットの最後の文字タウで始まります。これは、詩編の最初から終わりまでのすべてを要約的に一つにまとめることによって人間の人生全体を包括的に表しているということなのです。詩編第1編の著者は二つの道(義の道と悪の道)を比べて義の道を歩むように勧めています。

◆2節に、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」とありますが、このような歩みこそ、義の道を歩むクリスチャンの理想的な人生と言えます。私たちの心には、イエス様を信じていると言っても、「悪い思い」や「罪の性質」は出てきます。主が私たちをご自身の栄光の姿と同じかたちに変えてくださるまでこの葛藤は続きます。しかし、二つの道のうち、「義の道」を選びとって歩むようにすることはできます。そのように歩む人は幸いだ、と聖書は告げるのです。

◆では、どうやってそのように歩むことができるでしょうか。それは、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ」ことです。「昼も夜も」とは一日中、という意味もありますが、昼のように人生が順調な時も、夜のような試練の中にある時も、という意味もあるでしょう。

◆「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(Ⅱテモテ4:2)とあるように、昼も夜も、時が良くても悪くても、御言葉を心に留める人は、やがて豊かな実りが与えられるのです。

松﨑 準

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