◆Aさんはよく朝食を抜きます。忙しい時は、昼食を抜くことさえあります。なぜでしょうか。それは仕事や打ち合わせが、三度の食事よりも大切だと考えているからです。「人は、自分がもっとも大切だと思うことには時間を作ります」。

◆Bさんは毎朝、静思の時(ディボーション)を持って1日が始まります。なぜ続けることができるのでしょうか。「それなしに生きることはできない」と心から確信しているからです。

◆聖書に登場する偉大な人物に共通することがあります。それは彼らが、神と個人的に時間を過ごし、神と親しくなったということです。ダニエルは一国の大臣でしたが、「日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝して」(ダニエル6:10)いました。モーセは、祈りの人でした。友と時間を過ごすようにして神から知恵と力を得て、40年間200万人のユダヤ人を導いたのです。

◆イエス様は宣教活動を始めた頃、朝早くまだ暗いうちに起き、祈るために寂しいところによく行かれました。それはこの時間が、もう少し長く眠ったり、病人を癒したり、説教したりするより重要だからでした。

石田政美

月曜日って気分が重いですよね。みんな本当にだるそうです。
私の昔の生活は土曜の夜、遅くまで起きていて日曜日は昼頃の起床でした。そのせいで日曜夜は眠りが浅く、月曜の朝は「ん〜やれやれ、今日から仕事か〜、1週間始まっちゃうんだな〜」という感じでした。
でも今は少し違います。クリスチャンは1週間の始まりが日曜日なんです。日曜日に礼拝(横浜JOYバプテス教会では10:30から)に出て、私たちの創造主である神様と向き合ってからスタートする。月曜日から仕事が始まるのは変わってなくても、「準備が出来ている」「充電が完了している」感じです。
あなたもいかがでしょうか。体のリズムもよくなりますよ!

byとと

今週の風景 No.503  

管理人
本日は石田牧師のメッセージでした。
ダニエル書の10章からでした。

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◆イエス様当時の人々にとって、身近で最も大きな動物はらくだでした。そして、針の穴は最も小さいものでした。大きならくだが小さな針の穴を通りぬけることなど絶対に不可能です。不可能であることが「まだ易しい」と表現されるほどに、金持ちが神の国に入るのは難しいということをイエス様は強調して言われたのです。これは、私たちが金持ちかそうでないかを問うているのではありません。

◆神の国に入る門というのは、私たちがあれもこれも両手に抱えてその門を通り抜けようとしても、両手の荷物が引っ掛かって通れないような門です。どんなに大切な物であっても一旦その門の手前で手放さなければ、その門の向こう側で待っておられるイエス様のところに行くことはできません。また、一旦手放した荷物が気になって未練がましく後ろを振り返ってばかりいたら、イエス様と共に歩いていくことはできません。

◆イエスがこの金持ちの人に言いたかったことは、「永遠のいのちとは、行いによるのではなく、イエス自身を信じることにある」ということだったのです。しかし、「行い」と「所有」を握りしめていた彼の手は、自分の目の前に伸ばされたイエス様の手を掴むことができなかったのです。

◆私たちは今、両手にどれだけの荷物を抱えているでしょうか。イエス様に従おうとするときに、その沢山の荷物を手放すことはできるでしょうか。イエス様は、慈しみの目で私たちを見つめ、手を伸ばし、「わたしに従いなさい」と招いておられます。

松﨑 準

今週の風景 No.502  

管理人
三寒四温といいましょうか暖かかったり寒かったりが始まりました。
メッセージでは金持ちが天国に入ることの難しさの箇所からでした。

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