今週の一面『ある牧師のエッセイから』 2/12

Shin1

◆先日ある牧師のエッセイを読んで大切なことを教えられました。以下、引用します。

「牧師が専念しなければならない仕事は何かと言えば、『神様の御言葉を聴き、語ること。そして、祈る(礼拝)こと』(使徒6:4)と聖書にあります。そこで私は、普段は適当な人間なのですが、神様の御言葉と礼拝については、ついつい完璧主義に陥りがちになります。しかし、実際には完璧なメッセージを語ることや完璧な礼拝をお献げすることができたことはありません。
 そんな私にとって、先日目から鱗が落ちるような言葉に出あいました。
『許すのは大切なことだが、何を許すのか。それは、自分や他の人が神(完璧な存在)ではないことを許すのです。』
 『できる限りのことをしたい。できるだけ正しくありたい。』そう願うことはとても大切なことです。しかし、そう願う気持ちが強すぎると、私たちは自分に対しても、人に対しても、厳しい態度で接するようになってしまいます。そして、人に必要以上に厳しく接するとき、私たちは自分が神(世界の中心)になってしまうのです。よく『人の良いところを褒めて育てることが大切』と言われていますが、なぜそれが大切なのかというと『人は神ではない。しかし、神様が死ぬほど愛しておられる貴い存在』だからです。
 寒さで顔が引きつり易い季節ですが、笑顔になってほっこりしましょう。」(中原康貴牧師『風の便り』より)

◆今日は礼拝後に、臨時神の家族会が持たれます。お互いがお互いに完璧を求めるのではなく、自分も相手も完璧な存在ではないことをお互いにゆるし合いたいと思います。
「イエスは言われた。『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』」(マタイ18:22)

松﨑 準

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