◆ある牧師が、大きな悩みをかかえた会員に牧会していました。牧師はこの一人の人に大変精力を注いでいるのを聞きJ牧師が次のように語られました。
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「牧会では、どうしても、一人へ傾く。時にそれが他の99匹にとって不公平と思えるほどの偏ることもある。これは『いと小さきものへの集中』なのです。」言われた牧師は、残念そうに『実は、今深刻に悩んでいるのは、自分が関わっている人ではなく、その人の配慮者の方なのです。』と。牧会者は全知全能ではない。どうしても一人に集中せざるをえない。でも、その集中が妥当なのか、吟味する複数の眼が必要なのです。
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◆万人祭司・共同牧会という事柄の一側面は、この「複眼で見る」という視座に立った教会形成を目指すということであると思います。
◆福音書は4つ私たちの手元に残されています。聖書自体が一つのイエス・キリストの出来事を4つに「複眼で見」ているのです。あるいは聖書は66巻あります。聖書自体が66通りの傾きで私たちに迫り、私たちを牧会し続けて下さっているのです。
◆聖書に立つ信仰に生きる私たちは、複眼で見て一つの事柄を判断し、一人づつが、一人づつに傾く。その時、多様性における一致、「キリストの体」が下から形成されるのではないでしょうか。(I.コリント12章参照)
石田政美