今週の風景 No.504

管理人
暖かくなってきた3月第1週の主日。
今日は良きサマリヤ人のたとえからでした。
この箇所は何が一番大事なことなのかを知らされます。

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今日は花が講壇に活けてありました。
やっぱりここがいいです。
管理人はこう言う風景を見ると写真を撮りたくなります。
そんなわけでパシャリ。

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いいですよね〜。
落ち着きます。

講壇に活けてある花を撮り始めたのは今から11年前の2006年1月のこと。

「今回で504回目の投稿か〜、よく続いてるな!」
と我ながら思います。
新会堂に移ってからは宣教者の写真を撮るようになりましたが一貫している自分の撮影ルールがあります。2つのルール!
さぁ、それは何でしょう!?
答えは来週の当コーナーで発表!!
わかった人は来週私の耳元でゴニョゴニョ回答してください。
早く回答したい人はメールでどうぞ!

11年の間に会堂建築や二代目牧師招聘が起こり教会は成長しておりますが、管理人自身は体を壊して休職したり単身赴任で不在の期間があったり転職したりで、強くされたり弱くなったりマンネリになったり。
でも決まって教会の誰かのエールで立ち直ってます。
それも何度となく(笑)
過去の記事を振り返るとしっかり書いてる時と、力を失ってる時が如実に表れていて自分の成長記録のようで恥ずかしくもありますが、これからも生温かく見守っていただければと思います。

奏楽も同様。
礼拝に来られている皆様はわからないかも(いや、気がついてる人もいるかも)ですが、奏楽者としても礼拝奉仕を続けている中で訓練されています。
がむしゃらに「毎週やるんだ!」と頑張った時期もありましたが息切れしてしまったり。
何十年もかかけて礼拝の奏楽はどうあるべきか?を学んでいます。(現在進行形)
奏楽奉仕の中で、演奏技術よりも「自分を整えること」が磨かれています。

現在は、「今日の牧師はどうだろう?」と、いかにして牧師を力づけてメッセージを力強く語れる状況に出来るか?を考えて弾いています。
勿論、「歌いにくそうじゃないかなー」、「ちょっと速くないかなー」、「遅くないかなー」と会衆にもアンテナを張り巡らせているわけですが、基本的に牧師を見ています。
これまで長らく「礼拝の流れを整えて会衆がメッセージを受け入れやすい状況にする」理念で奏楽をしていたのですが、いつからか気がついたら「牧師のために奏楽する」理念に変わっていました。
「賛美は祈り」と石田牧師はおっしゃっていましたが、まさにそんな心境。

米国で日本人宣教の道を示された松崎牧師のために祈りましょう。
石田牧師のために祈りましょう。
牧師と牧師の家族のために祈りましょう。

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