今週の風景 No.519  

管理人
今日は石田牧師は日立教会奉仕に。
留守の講壇を守ったのは武林兄でした。
「あなたはなにものなのか?」
と、ドキッとするような問いかけを受けたような気がしました。

私は神様から愛され守られ恵みを受けているものです!

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今週の一面『フィルター 』6/25  

Shin1

◆スマホで「教会 横浜」というキーワードで検索してみた。結果を見ると、横浜にも教会がいっぱいあるものだと思う。我らがJOYチャペルは4ページ目に出てきた。試しに妻のスマホでも同じキーワードで検索してみた。驚いたことに、JOYチャペルは最初のページに出てきたのだ。

◆ここで着目したいのは、妻のスマホの方がJOYチャペルが早く出てきたのでえらい、ということではない。検索結果は、個人個人で異なるということだ。スマホでは、過去に見た情報などをもとに、検索結果のみならず、ニュースや広告など様々な情報がフィルターにかけられ、自分が見たいものや心地よいものばかりが表示されるようになる。他方で、見たくないものや興味のないものは表示されなくなり、存在しないかのようになっていく。スマホさえあれば多くの情報が簡単に手に入るようになり便利にはなった。しかし、あふれるような情報はあるものの、それらにはフィルターがかけられ、偏ったものしか見えていないかもしれない。そして、おそらく結構多くの人が、そのことに気付いていない。

◆やっかいなことに、人というのは、一度思い込むと常にそれが正しいと判断し、それをより強化していく傾向があるそうだ。コンピュータが選別したものなのに、都合の良いものばかりを見せられて、世の中そういうものだと思い込む。さらには、自分は正しいのだという誤解がどんどん強められていく。私たちは、かつてないほど自分に都合良く作られた囲いの中で、主の御言葉の一部だけを聞いているのかもしれない。

◆知らぬ間に自分だけの世界が形作られ、好まないものは遮断されていく。そんな時代だからこそ、あえて意識的に自らの思い込みやこだわりを捨て去り、フィルターをかけずに主に向かい合うこと、これがより一層強く求められているのではないかと思う。

宮崎英剛

◆東日本大震災から「絆」ということが言われています。現実の人間と人間の絆、家族の絆は、何があっても破れないほど頑強なものでしょうか。些細な行き違いでもろく崩れ去ることがあります。「家庭の平和」が破られるということはむしろよくあることです。

◆病気や交通事故で父、母や子を失う家庭の悲劇もなくはないのです。戦争のような運命の荒波の中で家庭の平和が引き裂かれるということもあります。しかし、そうした戦争や事故や病気によるだけではありません。家庭がその内側から崩れ、崩壊していくということもあります。信仰者の家もまたそうした崩れ行くもろさからまったく免れているわけではありません。

◆これからしばらくの礼拝メッセージ、創世記第37章から始まりますヨセフ物語を通して「聖書の人生観」を改めてご一緒に学んでいきたいと思います。この物語も、一つの家の平和な生活が崩壊するところから出発しています。家庭の絆のもろさを知らされます。

◆ここで、私たちは、信仰者の家の物語を学ぶことになるのですが、しかもそれは、ヤコブの家、つまりイスラエルの家です。ですから、それは、神の民、信仰の共同体とその中の平和が、なぜ、どのように崩壊するのか、そして、またそれがどのようにして再建されるのか信仰の共同体の歩みを学んで行きたいと思います。

石田政美

 新緑の森の中に、その祝いの席は用意されていた。30年来の友人が人生の半ばを過ぎて人の妻となった。その人は、ある時には支援が必要な子どもやその家族に寄り添い、一つひとつの命を大切にしてきた人。気が付けば年齢を重ね、知らずしらず自分の心も体も随分と痛んでいた。

相手もまた老いを迎える齢の人。生みの母を含め3人の母を持つこの人は、継母が年若くして認知症を患ったため、長い間働きながら介護を担い、婚期を逸したとか。この継母は、実の子ども以上にこの人を愛してくれ、しかも聡明で美しい方だったようだ。それだけに、この人の心の中には様々なつらい葛藤と哀しみがあったに違いない。

それぞれに「人生の海の嵐にもまれ来し(新生讃美歌520番)」人たち。この二人がもっと若い時に出会ったとしても、こうはならなかったのに違いない。「優(しい)」という漢字を思い浮かべるがいい。「人」は「憂い」、苦しみと哀しみをたくさん持ってはじめて本当に人に優しくなれるのだと。神がその二人を透徹し、その心の内にある本当の「優しさ」に目を留めて結び合わせたとしたら、それは「神の業」以外のなにものでもありえない。

この二人を出会わせるために奔走した人々の中にも、最近家族や肉親を思いがけず失った人がいる。この二人は、そういう人たちの傍にも寄り添ったのだという。
そんな中でのパーティ、そこに集うすべての人が喜びにつつまれた。山の幸いっぱいのご馳走がふるまわれ、集まった友人たちの心からの祝福の言葉に、ふたりは輝く笑顔で応えた。一人ひとりの祝福の言葉が、「感謝の祈り」に聞こえたのは、私だけだろうか。

 人が新しく歩み直そうとしたときに、与えられた出会いを通して集められた人たちが、ひとつの食卓を囲んだ五月の夜。誰が言うのでもなく、神様の暖かい眼差しと祝福がその場を包んでいた。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(新改訳「伝道の書」3:11)                                             

By おたね&父ちゃん

今週の風景 No.518  

管理人
梅雨らしい天気でした。
今週からヨセフ物語のスタートです。
これまでにもヨセフ物語シリーズは何度か語られましたが、その時その時の自分が置かれている状況で、聴こえ方や気になりポイントが変わるので新鮮です。

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