◆「こどもへのまなざし」の著者であり、児童精神科医の佐々木正美先生が、先月天国へ召されました。私はこの神様の愛に根付いた子育てに感銘を受け、事あるごとに本を読み返し、「子育ては本当に大変な大仕事」と語る先生に何度も励まされてきました。

◆佐々木先生の本を読んでいると、どの本にも一貫して「ありのまま」を受け入れる、という聖書を土台とした考え方があるのに気がつきます。親自身がありのままの自分を受け入れることで、子どものことも全面的に受容できるようになるという考え方です。思うようにいかない子育て、、、その劣等感で押しつぶされそうになる親に、「完璧になろうと苦しまないで」と優しく語ってくださいます。

 「お父さんお母さん、あなたも自分を肯定していいのです。
  あなたはあなたのままでいい。
  十分頑張っているお父さんとお母さんです。」

◆人間は努力とは関係なく不完全です。神様が私の不完全なところに触れてくださる時、十字架の愛によって赦し、癒し、慰め、また励ましてくださいます。完璧を求めることより、ありのままを受け入れる勇気と謙遜さを持って生きたいものです。

高橋利佳

今週の風景 No.523  

管理人
石田牧師は日立教会に。
今日は澤田兄によるメッセージでした。

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◆今月に入って、主にある兄弟姉妹(特に海外から)のお客様が多く伝道のためにおいでくださった。このことは、どう言うことなのだろうか。

◆神がこの教会に期待をしておられ、神の選びの世界の中に私たちも教会もおかれているんだということに改めて目が開かれる思いでした。

◆伝道がどんなに大変なのかとか、教会を建て上げることの難しさというとこよりも、むしろ、そういうことを突き抜けて、「私はあなたがたの教会をいつも見つめている。忘れていない。」という神の有無を言わせぬメッセージと受けとめ、神の熱いおもいが伝わってくるようで、胸が熱くなるのを感じます。

◆日本の伝道はあっちでもこっちでも困難だと聞いて、困難だ困難だと思いながら伝道するのも何かさみしい話です。困難はあるけれども、しかし、それにいやまさる神の大きな期待がある。

◆ある無名捕手が日の目を見ない頃、監督に「おまえを日本一の捕手にしてやる」と言われたそうです。彼は、とにかく燃えました。仮にも、日本一の捕手にすると監督が言ってくれた。監督は、そこまで自分に期待してくれている...彼はどの選手よりも早くグラウンドに行き、どの選手よりも遅くまで練習しました。その結果、日本一といわれる捕手として活躍された話は有名です。

◆大きく期待されていると知ったら、奮闘せずにいられないのもうなずけます。神は、私たちのうちに可能性を見い出し、熱く期待しておられるのです。神の祝福を感じて立ち上がりましょう。

石田政美

時折、港から船の汽笛が聞こえる高台の小学校。放課後になるとキッズクラブの部屋は帰って来る子どもたちで満杯になる。
「外遊びの時間だよ」の声で一斉に駆けだして校庭へ。日本、中国、フィリピン、アメリカ、スリランカ・・・いろんな国で育った親を持つ小学生たちが、広々とした校庭を子犬のようにじゃれ合いながら駆けまわる。入学したばかりの子と上級生がまぜこぜで「ドロ警」と呼ぶ鬼ごっこに興じる。
支援員として通い出して12年、ここの子どもたちの姿に惹かれ続けている。
このところ室内で目立つ将棋盤に向かう姿、クリーニング屋のおじいちゃんが開いた将棋教室に通う中国の子どもが先生役で、駒の並べ方から丁寧に教えている。
「ひふみん」の愛称をもつ老将棋名人が、後輩の活躍を喜ぶコメントがニュースで流れた折、「ひふみんこと加藤一二三さんは敬虔なクリスチャンで、何かあると一日中礼拝堂にこもって祈っていたんだって」と語る人がいた。放課後に集まる子どもたちの中には、祭壇に供えた食べ物だけを口にし、動物の脂は絶対食べない子もいる。それぞれの家庭で大事にしている信仰のこと、母国のことをはっきりと伝える子も多い。

「多文化共生」、確かに大変である。このキッズクラブでももちろんもめ事はある。
しかし、真昼のキッズルームで両足にハンディを抱えている男の子と普段は頑固でとっつきにくい男の子が、一緒になってマンガ描きに熱中している。生まれつきの足のハンディのため、何かあってはいけないと、大人のスタッフとの関わりを中心に過ごしていたこの子を仲間として迎える子どもが現れる。

改めて、神様はこのように人を創造されたのだと教えられる。愚かな大人は、この子ども達の姿をみて、己を振り返らねばならぬ。

「そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」
(マタイによる福音書18章3-4節)

By おたね

JOYチャペルでアメリカから来られた宣教団の方々が、日本文化体験のためにけん玉で「♪もしもし亀よ」をしているのを見て、私のクリスチャンとしての歩みも亀みたいにとても遅いな〜と思ってしまいました。
私は教会に通いだしてからクリスチャンになるまで10年かかりました。そして14年経った今も、まだクリスチャンとしては"こども"です。
なぜそう思うかというと、自分がクリスチャンである理由や日曜日に教会に行く理由を聞かれた時に、「妻の影響で・・」と答えてしまうことが多いからです。
本当にそうなのかな?と自分に問うてみると、それだけが理由でなく自分でちゃんとクリスチャンになりたいと思っていると確信できるにもかかわらずです。
照れくさくて、そう言ってしまうのです。
最近はなるべく、「妻の影響で」と言わないようにしています。
また「偉いね」と言われると「全然偉くないです。むしろダメすぎるから教会に行ってるんです。」と言ってますが、この返答も20点くらいですかね〜
「こんな罪深い私のために、十字架にかかってくださったほどに、私を愛してくださっているイエス様を礼拝しに教会に行ってる。教会は素晴らしいですよ!」と言えるよう、早くなりたいものです。

byとと

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