~オリーブの香り~ No 267 『育つ』

Shin1

夏の間、強烈な日差しを受けて咲いた朝顔や実ったゴーヤたちも種を残す季節を迎えた。

何度種まきしても、発芽させられなかったゴーヤは、今年、種まき名人のKさんから立派な苗をもらって育てた。コロンと太った実が5個なった。朝顔も赤と薄ピンクのグラデーションの花が朝毎に咲いて、介護帰省で疲れた体と心を元気付けてくれた。

以前、老人ホームのメンバーといろんな種を蒔いていた時もなかなかうまく育てられなかったことがある。パンジー、ビオラ、日々草、千日紅、マリゴールド、・・・花壇に植える花々の種を蒔いた。乾かないようにビニルで覆ったり、濡れた新聞紙を被せたり、いろいろ工夫していたが、10鉢のうち2,3鉢しか芽を出してくれなかった。

ところが、ある時、一人の方が、毎日水やりをしましょうと申し出てくださってからというもの、酷暑の夏も発芽率がグンと上がって、10鉢のうち8,9鉢が芽を出し、見事な花苗に育ってくれるようになった。

植物の種蒔き、苗育てを人の育ちに例えることがある。硬い種、小さな種、大きい種、それぞれが芽を出しやすいよう、大きいのは一晩水につけたり、硬すぎる種皮を脱ぎ易いよう傷をつけたり。小さすぎるのは、2,3粒一緒に蒔く。芽が出るまで日々は、辛抱強く見守らなければならない。いったん蒔いたらカラカラに乾かすことのないよう水やりを怠らないなど。しかし、手をかけすぎると逆に芽を出さないこともある。植物のための手間のかけ方は、どこか人の育ちにも通じるのかもしれない。
 
先日、我が家の末っ子が巣立った。親である私たちが娘に持たせたのは弁当箱とうちで使い古した料理本。どうか、体が養われてすこやかに暮らせるようにとの祈りを込めて。
この子との今までを振り返ると、手を出しすぎてうまくいかないこと、逆に祈りながら待っていた時期もあった。そうして、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ3:6)という聖句にいきあたった。

改めて、親がしてやれることは何もない気もする。手も口も出しすぎてはいけない思いになる。幸せを信じてひたすら祈り続けたい。
それにしても、ずっとずっと人間の悔い改めと立ち返りを待ち続けておられる神様の深い思いはいかばかりか。

By おたね

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