今週の一面『荒野の祝福(3)』10/8

Shin1

◆多くの人々が呪いや苦痛として感じる荒野がどうして祝福となるのでしょうか。そこは、終わることのない砂漠が広がっており、人が住みにくい環境です。しかし、荒野の道を歩ませておられる方は神なのです(申命記8:2)。そのゆえに荒野は祝福に変わります。

◆イスラエルの民は神の深い愛と恵みを多く受けました。しかし、彼らはごく小さい問題でも不平不満をもらし、彼らの生活は憎しみと怒りだらけでした。そして、神にむかって反抗し(荒野で神の代わりに偶像をつくり)モーセにむかって非難しました。神はそんな傲慢な民を荒野に置かれたのです。

◆人間の最も大きな問題は傲慢です。そのような人は、自分が神なのです。ですから人を裁き、非難します。サタンの代名詞は傲慢です。

◆神がイスラエルの民を荒野に置かれたのは、二つのことを望まれたからです。一つ目は、「謙遜」です。人生の最も大きな祝福は低くなることです。神はイスラエルの民が傲慢なので、40年間訓練されました。なぜならば、天の御国の民は謙遜にならなければならないからです。

◆本当の神の人は、柔和で、謙遜であり、自分を低くする人です。神は、私たちが謙遜になることを願っておられます。人はどうすれば謙遜になれるでしょうか。苦難に出会う(荒野に置かれる)と謙遜になります。(続く)

石田政美

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