今週の一面『荒野の祝福(4)』10/15

Shin1

◆神がイスラエルの民を荒野に置かれた二つ目の目的は「従順」です。
従順さよりも完璧な信仰はありません。従順は信仰の頂点です。主イエスは十字架上で不平不満を言わず、人類のすべての罪を背負われました。クリスチャンのまことの姿はここにあります。

◆神はイスラエルの民を荒野という学校に入学させ、彼らが従順であるかどうかを試みられたのです。

◆神が用いられる人とはどのような人でしょうか。一言で言うと、内なる人が変えられた人です。モーセは王の特権を持った傲慢な人でした。最高の教育を受けた人でした。彼は、自分の民を愛する心もありました。その愛国心のゆえに殺人まで犯しました。そんな人が、40年間も荒野で暮らしました。希望のない、そんな所で動物と共に暮らしながらモーセが学んだものは謙遜と柔和、そして従順でした。彼は、内なる人が変えられたのです。

◆神はそのモーセをお用いになったのです。賜物やどんな働きをするかより大事なのは、内なる人が変えられ、「神の用いる人の基準」に人格が変えられることなのです。

◆いつ私たちは前進することができるのでしょうか。内なる人が変えられる時に前進します。イスラエルの民が前進したのは、外にいる敵が滅びたときではありません。イスラエルが前進した時はただ一つ、イスラエルが変えられた時だったのです。私たちの人生は、自分自身(内なる人)が変えられる時に前進します。(続く)

石田政美

過去の記事