私は実家に母と兄がいますが遠方のため、会うのは年1回です。クリスチャンではありません。母ももうすぐ80歳、兄も色々心配です・・というか妻が私以上に心配して「もう祈ろう!教会に誘おう!」と言ってくれました。で、例年は実家➕観光ですが今年は実家➕伝道に。
事前に「土曜、泊まって日曜は実家の近くの教会行くから一緒に行こうか」と言うと「ん・・」と母はあやふやな返事。これ以上言うと「いいよ(遠慮しとく)私は」と言われそうだったので、あとは当日に任せることに。
前日の反応、兄は「ちょっと友達と予定あるから」、母「ん、ん〜」
当日、約束の2分前に迎えに行くともう玄関から出てきてるではありませんか!
こどもの頃、日曜学校に行ったことはあるとのことで、それほど礼拝自体はびっくりしている様子ではありませんでした。感動して泣いている?ただの風邪気味?メッセージにあきて寝てる?どう感じたのか、次また行く気はあるのか?と思っていたら、教会で借りた賛美歌を間違って持って帰って来てしまったため、嫌でももう一回教会に行くことに!
牧師先生から送られてきた「また来て下さい。」の手紙も喜んでました。
毎週行くよとか兄も連れてくよとはまだ言ってませんが、今回、母と礼拝に一緒に出るというにはなんとも不思議な経験でした。
でもひょっとしたら母はこう思っているのかもしれません。
「あなた教会行ったの大人になってからでしょ、私はこどもの頃、すでに行ってるのよ、私のほうが早く神様に出会ってるんだから」
皆様のとりなしの祈りにも感謝です!

byとと

今週の一面『 とりなしの祈り 』11/26  

Shin1

◆歴代誌下24章によれば、祭司ヨヤダの子ゼカルヤが、神の霊によって立ち上がり、民に向かって語った。「神はこう言われる。『あなたたちが主を捨てたから、主もあなたたちを捨てる。』」(歴代誌下24:20)。ヨアシュ王も民もこの言葉を聞こうとせず、主の神殿の庭でゼカルヤを石で打ち殺した。

◆ゼカルヤは、死に際して言った。「主がこれをご覧になり、責任を追及してくださいますように。」(歴代誌下24:22)。私たちはこのゼカルヤの最後を読むとき思い出すのはキリスト教会の最初の殉教者ステファノのことである。彼もまた真理を語ることによって群衆から石で打ち殺された者である。

◆しかし、彼がゼカルヤと対照的なことは彼の最後の祈りが「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」(使徒7:60)。という祈りであったということである。一方は自分の仇をのろい、他はその者のためにとりなしの祈りをなす。一体どこにこの違いが生じる原因があったのであろうか。確かに敵を愛し、仇のために祈るということは私たちのできることではない。あのゼカルヤのようにおのれを撃つ者に向かってのろいながら死んでいくのが私たちである。 

◆しかし、そんな私たちが、イエス・キリストを信じ、仰ぐとき、敵を愛し、仇のために祈ることができる者に変えていただけるのである。

神山 武

今週の風景 No.536  

管理人
今日は賛美礼拝でした。
ゲストを呼ぶわけでもなく、主日礼拝を賛美をテーマとしてプログラム進行や奏楽を編成したものです。
随所に普段は見られない賛美のカタチがありました。
メッセージも武林兄によって賛美にフォーカスされたものでした。
20171126_01.JPG

◆「汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。そこで、出て来た元の家に帰ろうと言って帰ってみると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾り付けがしてあった。そこで出て行って、自分以上に悪い七つの霊を一緒に連れて来て中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。邪悪な今の時代も、このようになるであろう。」(マタイ12:43〜45)

◆サタンは祈らない魂(家)、堕落した魂(家)の中に住み着くことを好みます。私たちがどれだけ道徳的な生活をし、実践的な生活をするとしても、イエスさまが私たちの人生の継続的な主人にならなければ、サタンはさらに悪い状態になって私たち(私たちの家)を占領するでしょう。

◆どれだけよく家(魂)を掃除しても、その家(魂)が空いていれば、必ず誰か(サタン)に占領されてしまうのです。イエスさまを信じ、その方を私の王、私の主人としなければ、サタンはもっと悪いサタンを連れて来て、もっと悪い状態にしてしまいます。

◆サタンは祈らない魂を自分の家にします。そこはサタンが住むのにとても良い環境だからです。

◆私たちの中にサタンが住み着くような要素がありませんか。私たちの魂に日々イエスさまをお迎えして、サタンに占領されないために一日の初めに、まずディボーションを!    

石田政美

ハレルヤ!

木枯らしが、北の大地からやって来て、耳たぶにお仕置きをする季節となりました。
2週間前、夫は日本一早いインフルエンザ患者になったようで...還暦過ぎて40度超えの熱は、だいぶ身体に堪えたようです。
さぁ、大変!他の家族が感染しないように、家中の空気をきれいにしたり、湿度を保ったり、インフルエンザの特効薬と言われるエルダーフラワーのお茶を淹れて飲んだりと。
早めの予防が功を成して、誰も感染せずに元気に毎日過ごすことが出来て感謝です。

看病しなければいけないけれど、少し熱が下がった頃を見計らって、借りているHerb畑に行ってみました。
初冬の風は冷たいけれど、陽射しをいっぱい浴びて作業していると、だんだん汗ばんで来ます。
秋にもグンと伸びる草花や野菜はたくさんあります。彼らがどんな季節にも成長する理由の一つに、争わない事があると感じます。罵り合ったり、叩きのめしたり、傷つけ合って、何かを占領しないのです。でも、人、鳥や虫に傷つけられる事はあります。そうすると、その植物が持っている力で自分を立て直して行くのです。抗菌作用や鎮静作用だったり...。
神さまが描かれた地上の緑の絵筆は、なんと強いのでしょう。
さて、先程出てきた薬草のエルダーフラワー。手元にある資料には、こんな言い伝えが記されています。
キリストが磔にされた十字架は、エルダーで作られていたと...。もしかしたら、世界のあちこちにある十字架も、エルダーで作られているものも多いのかもしれないですね。
インフルエンザの特効薬と言われているエルダーフラワー...人の身体に飲み物として取り入れると、ウィルスを増殖させないように、ここはサタンをやっつけるように退治してくれるのです!

十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。エペソ2:16

争わず、戦わず、常に主を見上げる植物のように、私達もまた平和で満たされますように...。

by MxM

2 3

過去の記事