今週の一面『 とりなしの祈り 』11/26

Shin1

◆歴代誌下24章によれば、祭司ヨヤダの子ゼカルヤが、神の霊によって立ち上がり、民に向かって語った。「神はこう言われる。『あなたたちが主を捨てたから、主もあなたたちを捨てる。』」(歴代誌下24:20)。ヨアシュ王も民もこの言葉を聞こうとせず、主の神殿の庭でゼカルヤを石で打ち殺した。

◆ゼカルヤは、死に際して言った。「主がこれをご覧になり、責任を追及してくださいますように。」(歴代誌下24:22)。私たちはこのゼカルヤの最後を読むとき思い出すのはキリスト教会の最初の殉教者ステファノのことである。彼もまた真理を語ることによって群衆から石で打ち殺された者である。

◆しかし、彼がゼカルヤと対照的なことは彼の最後の祈りが「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」(使徒7:60)。という祈りであったということである。一方は自分の仇をのろい、他はその者のためにとりなしの祈りをなす。一体どこにこの違いが生じる原因があったのであろうか。確かに敵を愛し、仇のために祈るということは私たちのできることではない。あのゼカルヤのようにおのれを撃つ者に向かってのろいながら死んでいくのが私たちである。 

◆しかし、そんな私たちが、イエス・キリストを信じ、仰ぐとき、敵を愛し、仇のために祈ることができる者に変えていただけるのである。

神山 武

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