◆私は、家事や仕事の関係で、強いられて"朝型の生活"に変えられて、5年程度になりました。ようやく定着してきた平日の朝のディボーションですが、せめて土曜日くらいは朝寝坊したいと思い、至福の時間を過ごしていました。ところが、教会の隣地を取得するかどうかという"神様からの宿題"が出されたのを機に、「このことは本当に神様の御計画なのか否かを祈り求めねば!」と思い、神様の御心が分かるまでは、教会で土曜朝のディボーションの時を持とうと決心しました。

◆11月から始めた土曜早朝ディボーションは、挫けそうになりながらもなんとか続けられ、やがて隣地の取得のことがアンケート調査の結果、現実味を帯びてきました。すると次は、「臨時神の家族会で決議できるだろうか?」と祈り、「横浜市の入札で落札できますように!」と祈り、次々と祈りの課題が湧いてきて、止められなくなってしまいました。隣地の落札が決まった後も、次期牧師招聘のことで更に祈ることになりました。不思議な"祈りの連鎖"となりました。

◆最近は、日の出の時刻も少しずつ早くなってきましたし、ディボーション後の朝食の交わりの時や週報の印刷なども楽しいひとときです。

◆夜の祈り会で学んだ"ディボーションの時を継続するための秘訣"は、ディボーションができなかった時に、①自分を責めないこと、②律法主義に陥らないこと、③あきらめないこと、だと指摘しています。是非参加してみませんか?

『正しいことを行うのに疲れ果ててしまわないようにしましょう。失望せず、あきらめずにいれば、やがて祝福を刈り取るようになるからです。』(ガラテヤ 6:9)

澤田 猛

今週の風景 No.547  

管理人
今日は西原兄による信徒メッセージでした。
「隣人を愛する」ことについて礼拝後のスモールグループで有意義な分かち合いができました。

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◆2月11日は、日本の国の法律では、「建国記念の日」となっていますが、実質的には、「紀元節」です。日本は、初め「神代三代」と呼ばれる神々による統治がなされた後、神武天皇を初代とする天皇の治世が始まったものとされています。なお、神武天皇が天皇に就いたのは、紀元前660年2月11日のこととされています。これを根拠に、この日が日本建国の日とされ、国民の祝日に関する法律により「建国記念の日」とされているわけです。

◆教会では、「信教の自由を守る日」としてこの日を守っています。日本の教会が戦争中、たいへん苦い、またつらい思い出を持っている日です。そこでこの日を忘れることがないために、この日を定めているわけです。使徒言行録4章19節「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください」から、私たちは最終的にどなたに従うのか、言い換えると、何を最も尊いものとするのか、というのが、今日の問題の中心点であると言っても良いと思います。

◆今日私たちの国では、信教の自由を定めている憲法の規定(憲法20条)に自民党の改憲草案は巧妙に削除と挿入を施して、国家による信仰の領域への介入の道を開こうとしています。そして<天皇を中心とした神の国へ>そのために<道徳教育強化><愛国心><靖国神社の国家護持>さらに<平和憲法9条改悪>などを目指しています。

◆差し迫った危機に向かって、真実は何かを見失わないように祈り、霊の目をはっきり開かせていただきたいと思います。

石田政美

1月2日夕方の福岡空港は、里帰りを終えていつもの暮らしに戻る家族連れでごった返していた。毎月1回、同じくらいの時間に乗る時は、ほぼ背広服姿で埋め尽くされているので、久々に見る光景だった。
赤ん坊を抱いた若い夫婦、よちよち歩きの子どもの手を引く小学生が行ったり来たりするのを眺めていたら、もう何10年も前に聞いた先輩お母さんの言葉を思い出した。

「『いってらっしゃい』と『おかえりなさい』をどんな時にも言い続けるのって大事よ」と。与えられた子どもたち3人との都会での暮らしは、田舎者のわたしには戸惑うことが多かった。不器用な母親のせいで子ども達も迷惑を被ったことだろう。
そんな中で、どうにか続けてきた「いってらっしゃい」「おかえりなさい」の声かけ。私が働きに出るようになってからは、食卓の上に書き置いていた。

2011年震災の後、訪ねた大槌町の仮設住宅で、我が子に、愛する妻に夫に「おかえりなさい」と言いたい思いを胸に閉じ込めて、懸命に耐えておられる方々にお会いした。当たり前のいつでも言える言葉だと思い込んでいた自分の薄っぺらさが心底恥ずかしかった。

家族を送り出す時、必ず心の中で祈ると言っていた友人の顔が浮かぶ。
「いってらっしゃい」「おかえりなさい」という何気ない日常の挨拶には、様々な祈りと願いが込められている。言葉にならなくても、目の前に相手がいなくても、天国にさえ届く祈りと願いがあるのではないか。
朝毎の祈りの時間に思い浮かべるたくさんの顔、かお、顔。祈りの最後に離れて暮らす家族への思いを神様に打ち明ける。年を重ね、自分のできることの小ささが身に沁みるようになるにつれ、この時間が大切になってきた。神様に「おかえりなさい」と言ってもらえる日まで、この時間をこつこつと積み重ねていきたい。

「あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。」(詩編121:8)

By おたね

今週の風景 No.546  

管理人
今日は宮崎兄による信徒メッセージでした。
午後から臨時神の家族会(総会)があり、牧師招聘が承認されました。

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2017年度は下期から隣地取得、牧師招聘と教会にとって非常に大きな決断・決議と実行が行われたことになります。
「人の考えではなく神様の御心を聴き信じて従う」
を教会員全員で歩んだ一年になったなー、としみじみ思います。
なにより、これらの計画を推進された、しもべ会および教会スタッフの方々に感謝の気持ちしかありません。
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