~オリーブの香り~ No 277『おかえりなさい』   

Shin1

1月2日夕方の福岡空港は、里帰りを終えていつもの暮らしに戻る家族連れでごった返していた。毎月1回、同じくらいの時間に乗る時は、ほぼ背広服姿で埋め尽くされているので、久々に見る光景だった。
赤ん坊を抱いた若い夫婦、よちよち歩きの子どもの手を引く小学生が行ったり来たりするのを眺めていたら、もう何10年も前に聞いた先輩お母さんの言葉を思い出した。

「『いってらっしゃい』と『おかえりなさい』をどんな時にも言い続けるのって大事よ」と。与えられた子どもたち3人との都会での暮らしは、田舎者のわたしには戸惑うことが多かった。不器用な母親のせいで子ども達も迷惑を被ったことだろう。
そんな中で、どうにか続けてきた「いってらっしゃい」「おかえりなさい」の声かけ。私が働きに出るようになってからは、食卓の上に書き置いていた。

2011年震災の後、訪ねた大槌町の仮設住宅で、我が子に、愛する妻に夫に「おかえりなさい」と言いたい思いを胸に閉じ込めて、懸命に耐えておられる方々にお会いした。当たり前のいつでも言える言葉だと思い込んでいた自分の薄っぺらさが心底恥ずかしかった。

家族を送り出す時、必ず心の中で祈ると言っていた友人の顔が浮かぶ。
「いってらっしゃい」「おかえりなさい」という何気ない日常の挨拶には、様々な祈りと願いが込められている。言葉にならなくても、目の前に相手がいなくても、天国にさえ届く祈りと願いがあるのではないか。
朝毎の祈りの時間に思い浮かべるたくさんの顔、かお、顔。祈りの最後に離れて暮らす家族への思いを神様に打ち明ける。年を重ね、自分のできることの小ささが身に沁みるようになるにつれ、この時間が大切になってきた。神様に「おかえりなさい」と言ってもらえる日まで、この時間をこつこつと積み重ねていきたい。

「あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。」(詩編121:8)

By おたね

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