今週の一面 『レント...最後の晩餐①』3/11

Shin1

◆主イエス・キリストの最後の日々「受難物語」と言われる一連の物語を読み進めていくと、徐々に主人公であるイエス様ご自身が、ひとり孤独な姿で、ぽつんと浮かび上がってくる印象を受けます。

◆最後の晩餐の数時間後に、ゲッセマネの園で主が逮捕された時、弟子たちは皆、イエス様を見捨てて逃げ出しました。裁判が行われている時、弟子たちは誰ひとりイエス様の証人として立ちませんでした。ゴルゴダに向かうイエス様の十字架を運んでヴィア・ドロローサを歩いたのは、ペトロではありません。イエス様がつけられた十字架の左右で一緒に処刑されたのも、弟子たちではありません。そして、イエス様の遺体を取り降ろしたのも、その体を清めて墓に納めたのも、弟子たちではなかったのです。

◆同じ時間、同じ場所で、同じパンとぶどう酒にあずかりながら、虚勢を張る弟子たちの姿の中に、「やがて起こるべきこと」をよくよく知りながら、自分を見限る者たちと共に生涯最後の食卓を囲んでいるイエス様の姿、ひとり孤独な姿が浮かんできます。

◆「私は信じています。大丈夫です」と自負しながら、いざとなると弱さを暴露し、自分の都合次第で、主と仰ぐ人を捨て、信仰を投げ捨てて、逃げ散っていく弟子たち。イエス様の弟子とは、ひとりの例外もなく、「そんな人間たち」ばかりが集まって、主と共に、主の人生における最後の食卓を囲んでいる。それが、最後の晩餐の情景です。

石田政美

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