◆ペテロは、自分自身の弱さを持って、主の御前にありのままの姿で進み出ました。弱さが多く、足りないことは、私たちにイエス様が必要であることを意味します。イエスさまがペテロを高く評価されたのは、自分の弱さを告白するその正直さのゆえでした。
◆「主よ!私は罪人です。主よ!私はお天気屋です。主よ!私は意思が弱いです。主よ!私は整えられていない者です。主よ!私は矛盾だらけの者です」
◆多くの人は、自分の弱点を自分でみることができません。しかし、ペテロは自分の弱さをよく知っていました。その分回復も早かったのです。ペテロは自分の弱さを見て、主の御前にそれをさらけ出しました。そうして主はペテロの弱さを一つずつ癒し、取り扱われたのです。
◆ペテロは失敗ばかりして砕かれ、傷ついた経験をしたために、弱い人々を非難せず、愛をもって励ますことができたのです。
「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」(I.ペテロの手紙 4章8節)
◆ペテロは、あまり祈れない人を見ても、きっとこのように励ましたのでしょうか。「私はイエス様の後をついて行きながらも、祈りながら寝込んでしまった。それなのに、イエス様のお顔を見たこともないあなたが祈ろうとしているのだから、それだけでも素晴らしいことです」と。
◆私たちが他の人たちのことをああだ、こうだと評価してしまう理由は何でしょうか。人は誰であれ「工事中」、つまりかえられる過程であることを知らないからではないでしょうか。ペテロは、自分が変えられることに時間がかかったことを知っていました。そのため、他の人たちのことを余裕を持って待てるようになったのです。彼は「主が完全にしてくださる」と言いました。今、完全なのではありません。工事中です。やがて完全にされ、堅くされ、強くされるということです。ペテロは神様の約束を信じてゆだね、人格が変えられることを信じたのです。「あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神ご自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全なものとし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。」
(I.ペテロの手紙5章10節)
◆この世に完全な人がいるでしょうか。ペテロも神が長い時間をかけて整え、用いられた人でした。私たちは自分の弱さに失望しないように心がけましょう。ペテロのように変えられるためには、弱さを持ったまま主の前に進み出て、主の励ましを受けて癒していただき、聖霊に満たされ、主に従い、主の力と御業が表れる人生を生きましょう。まず、自分にできる小さなことに従っていく信仰の人となることを祈ります。