今週の一面『教会の目的① 〜イエスキリストが来られた理由〜』5/6

Shin1

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ19:10)

◆教会は何の為にあるのでしょうか。福音を伝える為?隣人を愛する為?神様を礼拝する為?答えは様々だと思います。「これが答え!」という教会論を言いたい訳ではありません。多様性が求められる今日において、教会の目的や役割は多岐に渡るでしょう。しかし、様々な目的や役割が教会にある一方、変わらないこともあります。それは、イエスキリストの十字架と復活です。では、なぜイエスキリストは来られたのでしょうか。前述した聖書箇所を通して確認致しましょう

◆ルカによる福音書19章は徴税人ザアカイのストーリーから始まっています。このザアカイのストーリーの後、10節の御言葉があります。ローマ帝国統治時代、徴税人はローマ帝国の公務員でした。イスラエルの民からしてみると帝国の犬だったわけです。ただ税金を集めるだけならまだよかったかもしれません。徴税人は税金を民衆から多く取り立てて、私服を肥やしている人が多くいたことでしょう。そのようなことから、民衆に嫌われる存在でもありました。19章に出てくる人物ザアカイも同様でした。彼は、徴税人の頭で金持ちでした。(2節) また、ザアカイは民衆から罪人の烙印を押されていました。(7節) そんなザアカイの元にイエス様は食事を共にし、家に泊まることにしたのです。その結果、ザアカイは悔い改め、救いを受け取ることができたのです。

◆イエスキリストは、救いをもたらす為に来ました。それは、神様の前に罪ある者とされた私たちが、神様との関係を回復する為に、イエスキリストは来られたのです。教会の目的、それはイエスキリストがなぜ来られたのかを伝えることです。このことから教会は始まるのです。それを忘れてしまうと教会の働きとは言えないでしょう。「伝道しましょう!」と意気込むことは時に必要です。しかし、普段の生活の中でその意気込みのまま過ごすのは難しいと思います。だからこそ、日々の御言葉をしっかりと私たちのうちにとどめ、その御言葉からくる行動や発言を通して伝えていくことが必要なのではないでしょうか。御言葉にしっかり立って生きる時、私たちの「生き方」を通して、伝えることができると思うのです。

「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。」(Ⅱコリント4:5a)

坂西恵悟

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