今週の一面『 召天者記念礼拝 』9/9  

Shin1

 「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」(ローマ14:9)

◆沖縄に住んでいた時、現在のお盆のシーズンよりも旧盆の方が大切にされていました。特に、私たちが住んでいた宮古島では先祖崇拝が強い島でもありましたので、旧盆の時期になると、学校や会社が休みになり親戚一同でお墓の前で食事をする文化がありました。内地(本土)から移住された方々は"休日"という感覚が強いですが、沖縄の人々にとっては大切な日でした。

◆教会の方々にお話を伺うと、「キリスト教は先祖を大切にしていない」「亡くなった方への関心がない」などの言葉を受けたことがあるという方が大勢いらっしゃいました。私たちクリスチャンは果たしてそうなのでしょうか。そんなことはないと思います。多くの教会で毎年、先に天へと凱旋された方々を覚え、礼拝を献げています。それは、召天された方々を覚え、出会いに感謝し、再び天で再会できることを感謝しつつ礼拝を献げています。

◆イエス・キリストの十字架と復活は私たちの罪の贖いだけでなく、私たちに希望を与えてくれるものです。創造主である神様は私たちがこの地上の歩みを終えた後も、私たちとの関わりを持ってくださる方です。そして、このキリストを信じる人々に新しい命を与えてくださるのです。私たちの人生は死が終着点ではなく、世の終わりの日に復活のイエスとともに神様のもとで永遠の命を生きることができる希望がある人生なのです。

◆召天者記念礼拝は、神様がこの地上においても地上での歩みを終えたあとでも関わり続けてくださる主であること、再び出会うことのできる希望を覚える時であること、イエス・キリストの十字架と復活に感謝する時なのです。

坂西恵悟

あなたの戒めに従う道にお導きください。わたしはその道を愛しています。不当な利益にではなく あなたの定めに心を傾けるようにしてください。
(詩編119:35,36)

◆8月も終わり、これから秋を迎えようとしています。この夏、皆様はどのような恵みにあずかることができたでしょうか?是非、夏を振り返る時を持っていただきたいです。

◆夏の前に雑誌やテレビなどで取り上げられるものにダイエットがあります。「美ボディ」や「割れた腹筋」などのキャッチコピーを様々なところで目にします。またテレビでも様々なダイエット方法が取り上げられます。食事制限もそのうちの一つでしょう。

◆詩編23:1に「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」(新改訳)とあります。私たちは乏しさに気づいていますか。満たされていることに気づいているでしょうか。週に1回の御言葉の食事になっていないでしょうか。私たちが主の戒めの道に従うためには主の戒めを知ることが必要です。また、私たちがキリストの似姿に変えられるためにも御言葉が必要です。羊飼いが良い牧草地に羊を連れて行くように、私たちの前には主が連れて来てくださった良い牧草地が広がっているのです。生きるために、成長するために必要な牧草が目の前に広がっています。私たちはただ、それを食べるだけです。その牧草は聖書です。

むなしいものを見ようとすることから わたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って 命を得ることができますように。」(詩編119:37)

◆主が備えてくださる御言葉を私たちは日々食べることが必要です。周りのものに目を奪われるのではなく、すぐ目の前に広がっている主の御言葉を私たちは期待して、感謝して受け取りましょう。

坂西恵悟

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