◆ヨセフは兄たちによって穴に落とされました。(37:24)そして、商人たちによってイシュマエル人に売られエジプトへ連れて行かれてしまったのです。(37:28)エジプトへ連れて行かれたヨセフは侍従長のポティファルによって買い取られたのです。

◆しかし、神様はヨセフを見捨てることはありませんでした。神様はヨセフと共におられ、彼が行うすべてのことを良くされました。その結果、ヨセフは奴隷の身でありながら、ポティファルの家の財産のすべてを管理するものとなりました。管理するだけでなく、ヨセフを通してポティファルの家に神様の祝福が流れていったのです。

◆私たちの人生は良い時も悪い時もあります。良い時は神様のすばらしさや、祝福を大いに覚えることでしょう。しかし、悪い時はどうでしょうか。誰かのせいにしたり、環境のせいにしたり、ある時は神様のせいにしたりと、投げつけたくなってしまうことでしょう。

◆このヨセフの話を通して、私たちが学べることは、「主が共にいてくださることを信じる」ことです。神様は良い時も、悪い時も共にいてくださいます。そして、そのことを私たちが信じた時、神様の祝福に私たちは気づくことができるのです。どのような場合においても。

◆もう一つは、「私たちを通して、祝福がその場所に流される」ということです。神様はヨセフのゆえにポティファルの家を祝福しました。同じように、神様は私たちを通して私たちの家を、学校を、職場を祝福してくださっている。このことを私たちは信じることが大切です。

◆置かれた場所で主に信頼し、主の祝福を期待する。このことを私たちはどのような状況でも行っていくことが大切です。良い時も、悪い時も主はいつも私たちに十分な恵みを備えてくださっています。

坂西恵悟

今週の一面 『『人間の弱さ』 3/17  

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◆創世記におけるアブラハム、イサク、ヤコブと受け継がれてきた神様との祝福の契約はヨセフへと続いていきました。そのヨセフの人生はジェットコースターのような人生です。彼の人生は最終的にはサクセスストーリーになるでしょう。しかし、彼が体験したことは彼が主の前に整えられるために必要なものでした。

◆10人の兄を持ち、父ヤコブの愛妻である母ラケルの実子として生まれたヨセフは、父ヤコブから偏った愛情を受けていました。父ヤコブも母リベカから偏愛されていたように、息子ヨセフに対しても異常な愛情を表していたのです。そのことをわかっていたヨセフは兄たちのことを告げ口し、良い子として振舞っていました。兄たちはヨセフを憎み、避けていました。そんな中、ヨセフの見た夢は兄たちにとって許容できるものではありませんでした。またその内容は父ヤコブも認めることができませんでした。ヨセフはこのことが決定打となり、その後の人生を大きく変える出来事へと向かっていくのです。

◆このヨセフの物語は父の偏愛と兄たちの嫉妬によって始められています。振り返るとカインとアベルの間にも嫉妬がありました。イサク、リベカ、ヤコブ、エサウの関係の中にも嫉妬がありました。私たちは嫉妬をよくしてしまいます。自分と他者を比べ、劣等感を感じ、羨ましく思うことがあります。グレゴリウス1世もトマス・アクィナスも7つの罪源の中に「嫉妬」を加えています。この感情は私たちを罪へといざなうものです。私たちは「嫉妬」と向き合う時、どのように向き合うべきなのでしょうか。やはり、神様から愛されている存在であることを日々確認し、感謝していかなくてはならないと思うのです。自分の存在意義を神様の中に見出した時、私たちは他者との比較から解放され、神様の愛の中を生きることができるのです。

坂西恵悟

◆ヤコブはラバンのもとに20年間滞在しました。その間に4人の女性から11人の男子を与えられました。この20年の間に子ども達だけでなく、多くの家畜を得ることができました。ヤコブはラバンに対し誠実に忠実に仕え続けていました。そして、神様の言葉に従って故郷へ帰ることを決めたのです。

◆ヤコブは兄エサウの元へと進みました。兄に対して、恐れを持っていたヤコブでしたが、ペヌエルでの主との格闘を経て、神と顔と顔を合わせました。(32:31)その結果、エサウに対しての過度な恐れから解放されたのです。エサウの元に着くまで7度ひれ伏す姿から、ヤコブの真の謙遜を見ることができます。そして、エサウの問いに対しては、「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです。」(33:5)と、神様から与えられた祝福なのだと証しするヤコブの信仰も見ることができます。

◆ヤコブのペヌエルからの出来事は、私たちの歩みに似ています。ヤコブは神様と出会ったことで変えられました。兄エサウの前に謙遜になり、自分自身の財産が神様から与えられているものだと告白しました。私たちも神様に出会ったことで、自分自身の罪を認めることができ、神様の前に悔い改め、新しく変えられました。そこで、私たちは謙遜を学び、私たちのすべてのものが主から与えられている祝福であると信じることができたのです。祝福も和解も神様からのものでなければ成り立ちません。ヤコブは20年という長い年月を通して整えられました。兄に対する恐怖も神様に出会うことで変えられました。ヤコブのように、私たちも主の前に、他の人の前に謙遜になりましょう。そして主の祝福を感謝し受け取り、分かち合いましょう。 

坂西恵悟

◆イサクの元を離れ、リベカの兄ラバンのいるハランへ向かったヤコブは、ついにハランへ到着しました。ヤコブはハラン近くの井戸のそばでラケルに出会います。ラケルは羊飼いとして、父ラバンの羊に水を飲ませるためにやって来たのです。ヤコブは一人で旅を続けていたためか、親戚であるラケルに会うと声を出して泣いたのでした。

◆ラバンは、ヤコブの働きを滞在中に評価したのでしょう。ヤコブに対して報酬を与えることを話しました。(29:15)そこで、ヤコブが求めたのは、ラバンの二人の娘の妹、ラケルでした。ラケルと結婚させてもらうために、7年間ラバンの元で働くことを誓ったのです。

◆7年が過ぎた時、ヤコブは、ラバンにラケルとの結婚の許可を要求しました。しかし、祝宴に来たのはラケルではなく、姉のレアでした。そしてラバンは、さらに7年働くように要求したのです。父イサクや兄エサウを騙したヤコブは、今度は自分が騙されることになってしまったのです。このことを通して、ヤコブは欺かれた者の痛みを体験したことでしょう。また、自分の限界や自分の能力などにより頼む愚かさを知ることができたのかもしれません。

◆ヤコブがイサクの元へ帰る時、「わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。」(創世記32:11)と神様に対して告白したように、この結婚の出来事も、その後の子どもたちの誕生のこともすべて、ヤコブが成長するために必要なものだったのです。

◆私たちは困難や試練を通して成長します。人間的にも霊的にもです。能力も結果としてついてくることもあるでしょう。このような中でも大切にしていきたいことは、神様にへりくだり、より頼むことです。そうした時、主が私たちの道をまっすぐに整えてくださるのです。

坂西恵悟

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